●忘れる●忘却●失念●忘我●健忘●痴呆●記憶喪失●忘られ●度忘れ●置き忘れる●見忘れる●面忘れ●物忘れ●名を忘れ●忘れる●忘却●失念●忘我●健忘●痴呆●記憶喪失●忘られ●度忘れ●置き忘れる●見忘れる●面忘れ●物忘れ●名を忘れ
●忘れる 
あかあかと屏風の裾の忘れもの 波多野爽波(1923-91)
あけび割れ狐は親を忘れたり 橋石 和栲
あさり、うっかり閉じ忘れた口をとじる 住宅顕信 未完成
あたたかき日は日短きこと忘れ 比奈夫
あたたかく野の靄つつむ忘れ鍬 能村登四郎
あたたかに忘れがちなる浪の音 中條 明
あつさをは忘るゝ忘れ草すゞし 暑 正岡子規
あともなく忘れてあれば鉦叩 中村汀女
あのひとを置き忘れたよ寒椿 大西泰世 椿事
あやめ引砥石を水の辺に忘れ 飴山實 辛酉小雪
あらしの跡薙ぎ尽し山吹の忘れ花かな 梅林句屑 喜谷六花
ありく間に忘れし春の寒さかな 樗堂
ありぬべし世紀忘れといふことも 矢島渚男 延年
いかづちの忘れてゆきし十日月 中村契子(白露)
いそぎんちやく忘れ花めく置潮に 高井北杜
いたいほど開いて都忘れかな 川崎展宏 冬
いつとなく澄み七夕の忘れ汐 藺草慶子
いつまでも忘れ團扇をはさむ本 田中裕明 櫻姫譚
いつ迄も忘れられた儘で黒い蝙蝠傘 尾崎放哉
いとしけれ扇忘れて去にし人 高橋淡路女 梶の葉
いとどいとたやすく脚を忘れたり 大木孝子
いぬころの道忘れたる冬田かな 尾崎放哉
いま思ひゐしこと忘れ初蝶黄 田畑美穂女
うつし世の年を忘れし端居かな 松村蒼石 寒鶯抄
うららかや啼き忘れたる鳩時計 民三
うららかや岩場高きに忘れ潮 鷹羽狩行
おおげさに別れてきたが 傘忘れた 竹本一平
おく霜を照る日しづかに忘れけり 飯田蛇笏
おだやかな凩なんぞ忘れをり 高木晴子 花 季
おとうとをトマト畑に忘れきし ふけとしこ 伝言
おねはんの忘れ毬一つ日暮かな 室生犀星 魚眠洞發句集
おのが名を忘れて山の眠りをり 栗原稜歩
おのが香に木犀我を忘れたり 高澤良一 随笑
お忘れの扇持たせぬ一句あれ 今成無事庵
かくれんぼ忘れてしまひゆすらうめ 関根裕子
かく生きてかく忘れられ雪だるま 有馬朗人
かたちから忘れゆくなり露の玉 久保純夫
かの人の忘れ扇ぞ盗みたし 鈴木鷹夫 千年
かの忘れ扇を返すべく忘れ 下村梅子
かへるさのかなかな山へ耳忘れ 田中みどり
かぼそきくらしの壺へ追憶の薊を妻が忘れず 橋本夢道 無禮なる妻抄
かまきりばたりと落ちて斧を忘れず 尾崎放哉
からたちの芽張りし空澄み主婦を忘れ 河野多希女 琴 恋
ががんぼの忘れし頃を娶りけり 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
きりぎりす忘れ音に鳴く火燵かな 芭蕉
くびるるをうかと忘れし瓢かな 鈴木貞雄
くむ酒やくれ行くとしを忘れ水 惟中
くろもじの花連山を忘れ咲く 友岡子郷 未草
げんげ田にこころ忘れて来てしまふ 野木桃花
こころ忘れ来しが白鳥千羽凍つ 岸田稚魚 筍流し
ことば忘れて昼はおこぜかあんこうか 津沢マサ子 楕円の昼
この日向にとざされ忘れられゐるも 野澤節子 黄 瀬
この時浴衣きて一つの苦悩を忘れようわたし 中塚たづ子
こは大事昼寝して句を忘れたり 斎藤空華 空華句集
さくら咲く日の混血児忘れめや 杉山岳陽 晩婚
ししうどや山々の名をまた忘れ 矢島渚男 天衣
しののめやとめし蛍を置き忘れ 千代尼
すぐ忘れさうで立浪草を摘む 赤松子
すねてゐる子は忘れられ草の花 千原叡子
すべりひゆ 蹠がいくさ忘れない 保尾胖子
ぜんまい折る日向の道は忘れられ 済木深起子
そして人忘れられゆく桜かな 都甲龍生
そのまゝに忘れ扇となりしこと 高濱年尾 年尾句集
そらんじてすぐに忘れるるオキザリス 角谷昌子
たしかなにか忘れてゐるに胡瓜咲く 上田五千石
たちまちに墓参の顔を忘れけり 田中裕明 櫻姫譚
たどるみち桑あは〜し忘れ霜 及川貞 榧の實
だんだんに人を忘れし葱の花 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
ちる花や忘れんとおもふこと多く 高橋淡路女
つくばひに蕗の薹のせ忘れけり 阿部みどり女 『笹鳴』
つつまれてゐて薔薇の香を忘れをり 今橋眞理子
つばくらめ父を忘れて吾子伸びよ 石田波郷
つばめ来る聖ヨゼフの日忘れずに 山本歩禅
つまづきし如く忘れし手毬歌 橋本多佳子
つめたさも忘れてすがる吹雪かな 阿部みどり女
つれなくも川は流れて忘れ霜 池田澄子 たましいの話
つんぼ草うき別れゆくや忘れ庵 中勘助
でで虫の捨てられもせで忘れらる 吉川多可子
とほく灯のともりし都忘れかな 倉田絋文
とらつぐみ鳴くこと忘れ雪歩む 城取信平
どこやらに下駄ぬぎ忘れ春の山 春の山 正岡子規
どの家も雪の満月忘れゐし 本宮哲郎
どんど焚陽の残りゐる忘れ潮 中拓夫
ど忘れや水餅のひびふやけをり 川村紫陽
ながらへてながらへて踏む忘れ霜 水野柿葉
なつめの実青空のまま忘れらる 友岡子郷
なやらひの鬼の忘れし雪の傘 井上弘美
なんの湯か沸かして忘れ初嵐 石川桂郎 高蘆
ねむり草いくさ忘れしことわすれ 八木三日女
のどかさに風を忘れし風見鶏 菅谷文代
のどかさや早き月日を忘れたる 太 祗
ははこぐさはじめのことば忘れけり 矢島渚男 梟
はまなすに忘れて居りし香のありし 高木晴子
はやされて台詞忘れし村芝居 北川佳枝
ひといつかうしろを忘れ小六月 飯田龍太
ひとであることを忘れてちゃんちゃんこ 田邊香代子
ひとり子は父忘れめや木の実独楽 及川貞 榧の實
ひらひらと忘れ扇や虚子の顔 宇佐美魚目
ひるがほを忘れてをれば灼き切れし 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
ふるさとに忘れものあり鰯雲 津森延世
ふるさとを忘れな草の咲く頃に 成嶋瓢雨
ほととぎす忘れさうなら引き戻す 竹本健司
またとなき初夢なりし忘れけり 奈良 葉
まだ鳴かぬ鈴虫忘れられさうに 稲畑汀子
まぼろしの花忘れめや蜀鳥 高井几董
ままごとの子等が忘れしぬかご哉 篠原鳳作
ままごとを土手に忘れて土筆かな 戸塚和夫
みひらいて瞳に秋雲を忘れていたり 阿部完市 無帽
みほとけの忘れし宝珠ふきのたう 嶋田麻紀
みやこわすれ都は忘れ得べけれど 行方克己 昆虫記
むかご飯悪事おおかた忘れたり 徳弘喜子
むらさきは都忘れや虚子の塔 原裕 出雲
もぎかけし柚子を忘れて棹のあり 高浜虚子
もてあます果忘れ来し梅雨の傘 黒木 夜雨
もの忘れしさうに霧の立ちこめて 小田三千代
もの忘れしたらん貌や落し角 高橋淡路女 梶の葉
もの忘れするたび仰ぐ春の山 黛 執
もの忘れせし手つめたし春の月 松村蒼石
もの忘れはげし弟切草咲けば 水田光雄
もの忘れひどくなりたる鯰かな 穴井太 原郷樹林
もの忘れわらひあひたり春落葉 柴田白葉女 『月の笛』
もの忘れわらふほかなき薄暑かな 久保田万太郎 流寓抄
もの縫へば長閑にホ句も忘れけり 長谷川かな女 雨 月
もろてさてなにを忘れん茗荷たけ 中勘助
やどかりのさゞめかしをり忘れ汐 今川白峰
やまめ焼く宿忘れめや藤の花 室生犀星 魚眠洞發句集
やや寒の指輪忘れし薬指 小松世史子
ゆすらうめ妻子忘れていたりける 山田穣二
ゆふすげの閉ぢ忘れたる日の最中 堀口星眠 営巣期
ゆるくゆるく過ぐる病院の一日よ忘れいし生命の速度を思う 高安国世
りんご撰るたのしさ咳を忘れゐて 目迫秩父
わが名は忘れられ旅人木鳴響(とよ)め 小川双々子
わが影を遠き枯野に置き忘れ 野見山朱鳥
わすれ花忘れぬ宿の栞哉 暁台
われ人を忘れ澄まして夏最上 澁谷道
ガラスあることを忘れて慈しむ 和田悟朗 法隆寺伝承
ギロチンのことは忘れて巴里祭 益田啼鳳
クレソンの花賑やかに忘れ水 角田良子
サーファーの忘れものめく浜焚火 能村研三 海神
シャボン玉吹いて看取りを忘れをる 山口幸子
スケートに乗れば忘れてしまふこと 稲畑汀子
セルの頃旅は家庭を忘れつつ 京極杞陽
セル軽し妻の身忘れ歩みけり 柴田白葉女
ダリヤ作りて句忘れの柿ともぎ初めし 新傾向句集 河東碧梧桐
チュウリツプおのれ揺れゐしこと忘れ 後藤夜半
ハンカチの忘れてありぬ自害石 福田甲子雄「草虱」
ハンカチは持てど時計を忘れたり 伊藤白潮 卍
ハンモック吊り忘れある俄か雨 三村純也「常行」
パスワード忘れて緋鯉錦鯉 松田ひろむ
ベランダに忘れられゐし茎の石 館岡沙緻
ホテルに傘忘れ日が過ぐ巴里祭 鈴木鷹夫 渚通り
ポケツトに句帳忘れず更衣 讃井麦翠
メモばかり増え春昼の忘れもの 中村翠湖
モンローの忘れ睫の美女柳 杉本京子
ランプ灯く「忘れ唱歌」に冬の月 長谷川かな女 牡 丹
リラ冷えの教会にある忘れもの 大木あまり 火球
リラ咲けり含羞つとに忘れられ 酒井弘司
一すじの光り花野の忘れ水 橋口ふみ
一弁を仕舞ひ忘れて夕牡丹 高浜虚子
一弁を月に忘れて牡丹閉づ 石井とし夫
一病を何処かに忘れ五月晴 小島左京(ホトトギス)
一瞥ののち忘れけり凍海鼠 大石悦子 百花
一礼に初心忘れず寒稽古 吉井莫生
一茶忌を忘れずゐたる葛湯かな 森澄雄
一言の忘れ扇に及ぶなき 島村元句集
一通の投凾函忘れ星冴ゆる 脇本良太郎
七夕や男忘れて病み居たり 河野南畦 『黒い夏』
七曜を忘れてすごす七日粥 檜紀代
万年草岸に生ふてふ忘れけり 才丸 選集「板東太郎」
万年草岸に生ふて忘れけり 椎本才麿
万緑や我れを忘れて汝となる 山崎十死生
万緑叢中 花柄の忘れ傘 守田椰子夫
三十分前の十坪位いなわが家をすでに忘れて巨大な建物へ雪を曲つてゆく 橋本夢道 無禮なる妻抄
三寒のきびしさ笑忘れける 大場白水郎 散木集
三日ほど主婦を忘れて初夏の旅 稲畑汀子
三日月の櫛や忘れし雪女 佐藤紅緑
三月の空を忘れて野蒜摘 高澤良一 随笑
三椏の花やっぱり忘れられない 山中葛子
不孝者ハンケチ忘れきて泣けり 成瀬櫻桃子 風色
且つ忘れ且つ読む燈火亦親し 相生垣瓜人
世に忘れられて気まゝや放屁虫 石田雨圃子
世の中のことみな忘れ日向ぼこ 川口咲子
世の人に忘れられけり後の月 後の月 正岡子規
世の端のわれを忘れず税きし冬 佐野美智
世をわすれ世に忘れられ日向ぼこ 松尾いはほ
世を忘れ菊の枕に沈みゐる 橋田憲明
世話なしの都忘れの株殖やす 高澤良一 宿好
中々に忘れじ瓜の漬けかげん 大魯「蘆陰句選」
串魚を干し忘れめや朝の蝉 吉武月二郎句集
久闊や雪白きこと忘れをり 千葉みちる
九十の端(はした)を忘れ春を待つ 阿部みどり女 『月下美人』
九竅の九を忘れず露の秋 深谷雄大
乳母車ふと忘れゐぬ蝗とる 坂本俳星
乾風(あなじ)吹くこのはふり路忘れめや 松村蒼石 寒鶯抄
乾風吹くこのはふり路忘れめや 松村蒼石 寒鶯抄
乾鮭に忘れて長きぬくめ酒 『定本石橋秀野句文集』
亀戸に人ありて名を--忘れけり 筑紫磐井 花鳥諷詠
亀鳴いて忘れられたるよき習い 原田和子
亀鳴くや裏口にある忘れ傘 厚見青芽
事始忘れし恩のおもはるる 松瀬青々
二の酉もとんと忘れて夜に入りし 星野立子
二十四時間白鳥のこと忘れいる 高野ムツオ 鳥柱
云はむとす事ふと忘れ涼風に 翁長恭子
五彩独楽喧嘩忘れて飾らるる 河野頼人
五月雨の憂きをも忘れ舞台終へ 荻江寿友
五月雨の足駄買ふ事忘れたり 五月雨 正岡子規
五欲置き忘れ青萱山にかな 吉川昌子
亡き人の声を忘れず柿の花 片山由美子 風待月
人ごころ問はばや年の忘れ様 杉風
人のこと忘れてしまふ涼しさよ 小島千架子
人の名は忘れ易くて蚯蚓鳴く 小池喜代子
人の名を聞いて忘れて水澄めり 坂東ユキ子
人の死はすぐに忘れて秋刀魚焼く 平野稔子
人も樹も雪を忘れて四月馬鹿 阿部みどり女
人やしる冬至の前のとし忘れ 素堂
人を忘れさする一瞬よ山焼くる火に 細見綾子
人を消し忘れ帝都の深雪かな 五島高資
人妻の髪に挿す都忘れとや 金久美智子
人忘れもの忘れして稲光 赤尾恵以
人恋し都忘れが庭に咲き 高橋淡路女
人我を忘れ去らんか冬籠 山田不染
人探すことも忘れて蝿叩く 田沼文雄
人老いず梅雨のくらきをさへ忘れ 久保田万太郎 流寓抄
今しがた聞きし茸の名は忘れ 占魚
今のことすぐに忘れてそぞろ寒 今井千鶴子
今年また忘れず庭へ尉鶲 吉田静子
今思ひしことを忘れて海芋かな 八木林之介 青霞集
今日ありて忘れ去るべき枸杞の実なり 千代田葛彦 旅人木
今日のことすつかり忘れ夕涼み 河野扶美
今日仕事忘れ勤労感謝の日 稲畑汀子
今日見しと都忘れを眠るまへ 川崎展宏
今朝の夢を忘れて草むしりをして居た 尾崎放哉
今朝の雪忘れて月をあげにけり 阿部みどり女
今生の不思議螢火消し忘れ 植村通草
仏間より亡父と見てをり忘れ雪 櫛原希伊子
仔狐が忘れていつた曼珠沙華 坂本宮尾
仕立て屋の都忘れの花窓に 加古宗也
仕舞ひ忘れの狂気ひとつが果てゆく夏 沼尻巳津子
仕舞屋のしまい忘れし猫の皿 仁平勝 東京物語
仙人の置き忘れしや竜の玉 長田等
仙蓼の実の赫々と忘れられ 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
仮死の蚊の醒めて血の香を忘れざる 林原耒井 蜩
仰ぐこと忘れて久し夕辛夷 古賀まり子 緑の野以後
伊吹嶺の秋風齢忘れたる 青木緑葉
住吉のはらひや夏を忘れ草 貞徳
何かゐて跼めば秋の忘れ汐 奈良文夫
何かを忘れるため足袋穿き替へる 加倉井秋を
何か忘れしもの郭公の森を出て 鍵和田[ゆう]子 未来図
何か忘れて走根見てる十二月 小田茂
何の木か忘れて老い木花咲ける 大串章 百鳥 以後
何も忘れた気で夏帽をかぶつて 尾崎放哉
倒れ方忘れておりぬ冬の菊 米子香珠子
停車場の椅子に衿卷を忘れしよ 衿巻 正岡子規
傘一本忘れて来たる盆休み 有馬朗人
働いて何を忘れむ秋の蝉 鈴木節子
元の名を忘れて呼ぶや秋のかぜ 水田正秀
先口の鴨南蛮忘れ居らぬかや 高澤良一 ぱらりとせ
先達を崇め忘れん大暑かな 三橋敏雄 巡禮
八十のあとは忘れし生身魂 日下部宵三
其中に菊は忘れず鍬序 支考 (新宅)
冬の日やとけては氷る忘れ水 一鼠
冬の薔薇コップに挿しすぐ忘れけり 加倉井秋を 午後の窓
冬山に憩ひし石を忘れまじ 京極杜藻
冬山へ斧忘れ来し夜の笑話 原裕 葦牙
冬扇おもひ出せしが忘れけり 長谷川双魚 風形
冬日和忘れぬ裡に用を足す 高澤良一 素抱
冬泉砂を忘れて砂躍る 菅原鬨也
冬波の引き忘れたる毬ひとつ 中嶋秀子
冬深し道鏡塚に忘れ鍬 有馬朗人
冬耕や妻をいたはる語を忘れ 大熊輝一 土の香
冬至とは影を忘れし形なり 村木佐紀夫
冬至柚子使ひ忘れて月日失す 高垣美恵子
冬麓すべて忘れてゐる思ひ 村越化石
冷やかに忘れ潮あり岩畳 高橋淡路女 梶の葉
冷房が嫌ひと言ひしこと忘れ 浅利恵子
凌霄花崖にいること忘れおり 宮下揺子
凍星のまばたき忘れゐたりけり 鈴鹿フミ
凩に頭巾忘れてうき身かな 黒柳召波 春泥句集
切干や海波立つること忘れ 高澤良一 鳩信
刈田道忘れゐしこと何かあり 鎌田 勝
初凧の海を忘れて船にあり 五十嵐播水 埠頭
初句会人みな老ゆること忘れ 山崎千枝子
初夢と話しゐる間に忘れけり 星野立子
初夢にドームがありしあとは忘れ 加倉井秋を 午後の窓
初夢のごとくに忘れ棕櫚箒 遠山 陽子
初夢のすべて忘れし掌をひらく 広谷春彦
初夢の中に一句を忘れきし 岡田みす子
初夢の何に泣きしか忘れたる 今瀬剛一
初夢の忘れやすさの目出度けれ 高木晴子 花 季
初夢を話しゐる間に忘れけり 立子
初空の忘れ潮にもある蒼さ 雨宮きぬよ
初蝶を見し日のこころ忘れ得ず(奥吉野) 河野南畦 『風の岬』
初蝶を見て来しことを言ひ忘れ 星野立子
初霜や庭に忘れし三輪車 福田千栄子
初鴨が着く草川を忘れずに 佐野美智
前の世になに忘れきし蕨採り 河原枇杷男
動物園に老いたる姉を置き忘れ 橋本輝久
匂はねばもう木犀を忘れたる 金田咲子 全身 以後
匂ひゐる厨の忘れ蚊遣かな 石田勝彦 秋興
化け方も忘れて猫の秋日向 大場佳子
化粧して恙忘れぬ初袷 阿部みどり女 笹鳴
化粧する事も忘れて春寒し 竹田小時
十一や忘れられゐし土饅頭 佐々木六戈 百韻反故 初學
十五夜の月を忘れて寝てしまふ 小坂 順子
十月の電車忘れし帽子のる 相沢静思
十薬の香の手を洗ふ忘れ汐 青木重行
千振干し忘れてゐたる母のこと 影島智子
千鳥鳴く月の干潟の忘れ潮 阿久沢双樹
半ば許しなかばは忘れ年の暮 矢島渚男 百済野
南無阿弥陀蜘蛛に生れで忘れ庵 中勘助
卯の花をくたすばかりや忘れ鍬 飴山實 辛酉小雪
友老いぬ都忘れの咲く母校 佐藤正治 『山川草木』
双蝶は蝶であること忘れおり 鳴戸奈菜
取りいるる忘れ幟や朝嵐 会津八一
取木して置きたるものを忘れゐし 山本鱠二
受験子へ言ひ忘れたることなきや 西村和子 かりそめならず
受験票忘れて来し子藪柑子 檜山哲彦
古書街のまばらなる灯や忘れ霜 風間 圭
句を記すつもりの忘れ扇かな 嶋田麻紀
叩くにも君を忘れぬ薺哉 紅爾
台風圏水は輝くこと忘れ 中川いさを
吊したるより風鈴のこと忘れ 片山由美子 風待月
名を惜しむこと忘れ春惜しむかな 上井正司
君の名をはたと忘れた咳をする 竹崎奇山
吾に足す色こそ都忘れかな 鈴木節子
吾れに足すいろこそ都忘れかな 鈴木節子
吾妹子が門忘れめや木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
吾子の前風が忘れし青林檎 中嶋秀子
咲き増ゆる都忘れに祖母のこと 小泉洋一
咳きこみて閻魔の前を忘れけり 下村槐太 天涯
哄笑といふもの忘れ花に居る 田川飛旅子
唯一度負ひたる稲を忘れめや 相生垣瓜人 明治草抄
啄木鳥の林両耳置き忘れ 平田直樹
啓蟄や山窪の日に忘れ罠 小林黒石礁
啓蟄や柱鏡を吊り忘れ 石川桂郎 高蘆
啓蟄や離農の鍬の置き忘れ 粂原英雄
啼きすめる蝉声あるを忘れゐし 平井照敏 天上大風
啼き出して囮たること忘れゐむ 木附沢麦青
啼鹿や昼見た形忘れたき 梅実
善丁村猟忘れたる犬の貌 田中環二
喪に替ふる白衿都忘れ咲く 野見山ひふみ
噴煙の中へ次々道忘れる 宮崎長山
四万六千日子忘れの日を賜らず 山田みづえ 忘
四十過ぐ都忘れが庭に咲き 勝又寿々子 『春障子』
四葩咲きよべの涙を忘れしむ 文挟夫佐恵 黄 瀬
土に傘刺し忘れおり鼓草 安曇ふみお
土佐一宮楝の紫忘れめや 小南敏子
土筆籠風呂場に忘れ置かれあり 中村吉右衛門
地の飢ゑに神の忘れし氷面鏡 松澤昭 神立
地虫出て金輪際を忘れけり 阿波野青畝
地震のことふと忘れをり花明り 石定まさ子
埋めもどす古墳の上の忘れ霜 酒井美幸
埋火や捜しにかゝる忘れん坊 小沢碧童
埴輪見てなにか忘れて蓬餅 坂本宮尾
堂の名はみな忘れけり春の風 春風 正岡子規
塩ゆでの田螺の味を忘れけり 岡本高明
墓口に忘れ手桶やお中日 河野静雲 閻魔
墨壷も忘れてをりぬ盆休み 松山足羽
声をかけ忘れて居れば薔薇ばらばら 清水径子
声忘れゐる枯草に日のぬくみ 林翔
壷焼や瑠璃を湛へし忘れ潮 水原秋櫻子
夏の月道心抱きては忘れ 宇咲冬男
夏の雨忘れてゐれば日のあたる 松瀬青々
夏の靴砂に忘れしこと忘る 対馬康子 吾亦紅
夏ゆけばいつさい棄てよ忘れよといきなり花になる曼珠沙華 今野寿美
夏呆けのこちらも忘れゐたる約 高澤良一 寒暑
夏天翔ぶ何かを街に置き忘れ 横山白虹
夏山に入りて雀を忘れけり 木倉フミヱ
夏帽子瀬音へ忘れ来て遠し 都筑智子
夏帽子笑はぬ少女の忘れ物 はやかわしょうこ
夏料理貝の名訊いて忘れけり 星野麥丘人
夏蕨井に浸せしを忘れきし 鳴戸幸子
夏雲の運び忘れし草ロール 浜本直子
夏風邪や何か忘れてゐるやうな 前田千枝子
夕日中ぎしぎし忘れられてをり 折井紀衣
夕月に妻よ柚子買ひ忘れしか 目迫秩父
夕焼や忘れてをれば蟻の列 加藤秋邨 野哭
夕立の過ぎし空より忘れ粒 依光陽子
夕顔を蒔くを忘れて旅に出し 高野素十
外国語だん〜忘れ菊に住む ミュラー初子
多摩冷ゆる都忘れの花の雨 長谷川かな女 牡 丹
夜の風の忘れ雫や釣忍 鈴木花蓑
夜は屋根の南瓜を忘れ寝まるなり 石橋辰之助 山暦
夜も燃えて鶏頭ひとを忘れしめず 星野麥丘人
夜を徹す索引づくり忘れ霜 原裕 『王城句帖』
大いなる手袋忘れありにけり 高浜虚子
大初日今日ある幸を忘れずに 菅原章風
大方は忘れられけり遅桜 遅桜 正岡子規
大暑の忌忘れず旅を終りけり 長谷川かな女 雨 月
大杉を忘れたりしよ山女食ふ 金田咲子 全身 以後
大磯へ日傘その他忘れくる 岡田史乃
大虎杖花を忘れて長けにけり 堀口星眠 営巣期
天人の忘れ羽衣藤の花 市橋千翔
天山は月を忘れて四方の凍 青笳
天清和写す雲なき忘れ汐 永里厚子(湾)
天道虫牧羊神の忘れもの 諸岡直子
天高しいま見し映画の筋忘れ 吉屋信子
太宰忌の居酒屋にある忘れ傘 伊藤伊那男
夫と子をふつつり忘れ懐手 中村汀女(1900-88)
夫も子も忘れ椎の実拾ひあかず 米澤治子
奥嵯峨に咲きゐて都忘れかな 大川八重
女正月「忘れ残りの記」は寂か 中尾壽美子
妻と見る雪は止むこと忘れをり 杉山岳陽 晩婚
妻ならめ大根ばたけに鍬忘れ 渡辺満峰
妻忘れゆきし扇子の夜を匂ふ 飯野 計夫
姥捨に置き忘れてきた松露一つ 八木三日女
婀媽の掌の棗より旅愁忘れけり 長谷川かな女 雨 月
婆殿の忌日忘れそ蓬餅 草餅 正岡子規
子に蒔かせたる花種の名を忘れ 安住敦
子のシヤベル忘れしままや下萌ゆる 今泉貞鳳
子の忘れし乳房漂ふ柚子湯かな 丹間美智子
子供の名忘れし母の手毬唄 西浦一滴
子等居ねば子を忘れをり懐手 中村汀女
宝塚劇場マフの忘れ物 茨木和生 倭
実ざくらや忘れて通る人ばかり 是水 選集古今句集
家づとに蕎麦粉忘れじ秋の雨 渡辺水巴 白日
家のこと忘れてあれば囀れる 上村占魚 鮎
家の事みんな忘れて花浄土 南出白妙女
家出れば家を忘れぬ秋の風 高橋淡路女 梶の葉
家路忘れて薫風に乗りしか妻よ 安井昌子
寄り添つて波を忘れし都鳥 福永みち子
寄居虫の足のかろさや忘れ潮 粟津松彩子
寄居虫や岩陰に黄の忘れ傘 杉本寛
寄鍋に貧交行を忘れまじ 高浜虚子
密會の忘れ日傘に頭文字(イニシャル) 筑紫磐井 婆伽梵
寒き身を忘れんとして一縷かな 尾崎迷堂 孤輪
寒凪や硯の海の忘れ墨 疋田秋思
寒木瓜や花を忘れし枝ありて 河野友人
寒林の松を数へて忘れたり 阿部みどり女 『笹鳴』
寒柝が忘れしころに戻り来る 山口波津女
寒牡丹きのふのわれを忘れをり 河野南畦 『元禄の夢』
寒苦鳥祷り忘れし夜が傾ぐ 宇咲冬男
寒苺買はずに戻り忘れ得ず 林翔 和紙
寝に就くは水鳥の巣を忘れけり 佐々木六戈 百韻反故 冬の皺
寝忘れて小昼時分や小豆粥 篠原温亭
寝筵や虱忘れてやゝ寒き 一茶
封をして忘れる月日梅酒壜 鈴木鷹夫 渚通り
射すことを日の忘れゐる著莪の花 西本一都 景色
射干や刻を忘れて読む少女 新井英子
小人らの忘れ帽子や錦木に 堀口星眠 営巣期
小天狗の忘れしかくれみのは実に 嶋田麻紀
小春凪漂うてゐる忘れ浮子 兵藤 恵
小海老飛ぶ汐干の跡の忘れ水 二柳
小豆粥なにか忘れてゐやせぬか 細谷喨々
小鳥来て何やら楽しもの忘れ 星野立子
小鳥来る出港漁夫の忘れ鍵 小野恵美子
少年の日の忘れもの枯木山 大谷章二
尾*てい骨忘れてをりし文化の日 木村敏男
尾をいつか忘れていたり秋の暮 酒井弘司
居を移すたび買ふ都忘れかな 斉藤満子
居待月正座久しく忘れゐし 福永耕二
山の名を聞いて忘れぬ春の雲 大串章 百鳥 以後
山の名を聞くより忘れとろろ汁 後藤兼志
山へ鎌は忘れず手にし シヤツと雑草 栗林一石路
山一つ蔵ひ忘れし青二月 原裕 『出雲』
山吹の散るや盥の忘れ水 山吹 正岡子規
山林の窪みの雪は日を忘れ 阿部みどり女
山椒魚あらゆる友を忘れたり 和田悟朗
山涼し都忘れと聞くからに 阿波野青畝
山菜採り日暮忘れてゐたるかな 福田甲子雄
山風の忘れてゆきし烏瓜 廣瀬町子
岳の名を忘れて春の畦をゆく 友岡子郷 春隣
島に来て湖忘れゐしわら砧 桂樟蹊子
島の名はいくつか忘れ夏朝日 和知喜八 同齢
島四国都忘れを供華とせり 芳野 円
嵯峨御所にてのひらほどの忘れ雪 畑 美枝子
已が名を忘れるほどに虫の鳴く 犬塚了史
巾着を忘れてありし施餓鬼棚 福島せいぎ
帆をたたむ音忘れしよ海桐の実 小長井和子
帥の句碑に枯るるを忘れ大賀蓮 小嶋俊雪
師走とて忘れもせずに訪ひくれし 高浜年尾
帰省するを忘れずに歩く町夜毎 高濱年尾 年尾句集
帰還兵忘れられ夜汽車の煙におう 古沢太穂 古沢太穂句集
干瓜の忘れてありぬ庭の石 すゞえ
年々や家路忘れて年の春 井上井月
年々や家路忘れて花の春 井月
年の夜の神燈うつす忘れ潮 荒川遊季
年ふれば虎も泪や忘れ草 上島鬼貫
年を積む忘れ上手の返り花 岩本文子
年越せば忘れられたる壁のしみ 寺門良子
幹なめて人忘れをり春の栗鼠 堀口星眠 営巣期
度忘れの一語に執しそぞろ寒 鴨志田智恵子
度忘れの向うで光る大植田 河口俊江
度忘れの頭叩いて丈山忌 高澤良一 随笑
度忘れも癖のなかなる六日かな 小西敬次郎
度忘れを暑のせいにするよくあること 高澤良一 寒暑
庭にして青渋柿を忘れをり 石川桂郎 四温
庭石に二つ茗荷の忘れ物 高澤良一 随笑
弁当忘れても時雨傘忘れるな 坊城 中子
引裙(ひきすそ)にもの忘れけり更衣 斯波園女
弟を久しく忘れ色鳥来 宇佐美ちゑ子
征きし日のさくら吹雪を忘れめや 平間真木子
待つ春や病忘れの膳仕度 乙字俳句集 大須賀乙字
御仏に忘れてありし汗拭ひ 高野素十「初拷」
御昼まで忘れずにゐる春の夢 桑原三郎 晝夜 以後
心太食って句帳を忘れけり 永井哲郎
心忘れ来しが白鳥千羽凍つ 岸田稚魚
忌みてなお氷室の闇を忘れかね 大庭紫逢(1947-)
忘るべきを忘れ冷房に融けゆく氷菓 内藤吐天 鳴海抄
忘れいし晩夏は納屋のかたちせり 津沢マサ子 風のトルソー
忘れいし母の日なりし句会かな 岡本きよみ
忘れいし約束の苗とどく 南出白妙女
忘れえぬ思ひ出ばかり庭の秋 高木晴子 晴居
忘れかけたままで温度が変わらない 宮崎斗士
忘れかけていた思いが夏雲を見る時 住宅顕信 未完成
忘れきしものの数ほど冬の星 うえだみちこ
忘れぐさ世にやや遠き狭庭なる 小池文子
忘れざるために真赤な落葉踏む 石寒太 翔
忘れざる更科人や年始状 青々
忘れしか知らぬ顔して畠打つ 夏目漱石(1867-1916)
忘れし字妻に教はり冬籠 富安風生
忘れし文字探しにたちて白障子 平井さち子 完流
忘れじな戸なき雪隠の山ざくら 服部嵐雪
忘れじの勝鬨や蝉の諸声に 尾崎紅葉
忘れじの種物捜す嫗かな 服部雨亭
忘れじの誰のものやらわからぬ腹 宮崎斗士
忘れずに居てや梢の帰り花 露川
忘れずに思ひ出せずにあたたかし 市堀玉宗
忘れずに月出て照らす鏡餅 廣瀬直人
忘れずに種まくやうに小鳥来る 小檜山繁子
忘れずに虚子の忌日と思ふのみ 勝又一透
忘れずは佐夜の中山にて涼め 芭蕉「丙寅紀行」
忘れずば小夜の中山にて涼め 松尾芭蕉
忘れそうな地球の素肌よところてん 松本恭子 世紀末の竟宴 テーマによる競詠集
忘れそうな母への文書く花柊 篠原あい子
忘れたきことと一途に水を打つ 星野立子
忘れたきこと忘れずに髪洗ふ 福川悠子
忘れたきこと春の湯にもてあそぶ 石原八束 空の渚
忘れたき事多かりし日記果つ 下硲紀子
忘れたき事突きさして毛糸編む 中井啓子
忘れたき夢きしきしと髪洗ふ 池田あや美
忘れたき電話番号雨の月 谷口桂子
忘れたころの青ぞらのかなしみの幌 林田紀音夫
忘れたや五十年見し四季の景 池田澄子
忘れたるころ流燈の一つ来る 森田 峠
忘れたるところはとばし手毬唄 今井つる女
忘れたる初夢何か今朝たぬし 新田 郊春
忘れたる如く干しある煙草かな 高柴象外
忘れたる小唄の文句夜ぞ長き 高浜年尾
忘れたる扇返さん君がもと 忘れ扇 正岡子規
忘れたる手袋ひとつ止り木に 角川春樹
忘れたる盆勘定に来てくれし 関根晋子
忘れたる笠の上なり石たゝき 鶺鴒 正岡子規
忘れたる頃に汽車来る芋の秋 大峯あきら 宇宙塵
忘れた魚とばったり出逢う棺の中 松坂凡平
忘れちゃえ赤紙神風草むす屍 池田澄子 たましいの話
忘れていたい明日が近づく茄子漬 池田澄子 たましいの話
忘れてはとばしとばして手毬唄 下村梅子
忘れては雪女かと抱籠をば 重頼「名取川」
忘れてもえゝぞなもしと鳴雪忌 川崎展宏
忘れても清水むすぶな高野道 清水 正岡子規
忘れてゐたつつじが咲きかけたよ 北原白秋
忘れな草冷ゆるラファエルの石棺に 小池文子 巴里蕭条
忘れな草更けてゐし寺の夜風にも 中川宋淵
忘れぬやう一人静にやる水を 川崎展宏
忘れぬを女の業としも夜寒 稲垣きくの 牡 丹
忘れぬ者が秋風に立ち木歩の碑 佐野美智
忘れねばならぬ旅きて野のあざみ 稲垣きくの 黄 瀬
忘れねばわすれな草も培はず 日野草城
忘れねば杉菜濃き野の濃きうれひ 稲垣きくの 黄 瀬
忘れまじ鶴を折り足す原爆忌 成崎千代子
忘れむとしてゐて冬が来てしまふ 後藤比奈夫 めんない千鳥
忘れむと洗ひし髪の重さかな 金久美智子
忘れめやあさつきなます浦小鯛 牧笛
忘れめやはだし女になんば畑 鈴鹿野風呂 浜木綿
忘れめや万三郎が鷺みだれ 野上豊一郎 能百句
忘れめや世にありの身の魂むかへ 上島鬼貫
忘れめや別れを吹きし青嵐 寺田寅彦
忘れめや実葛の丘の榻二つ 杉田久女
忘れめや日向の奥の春の雷 五十嵐播水 播水句集
忘れめや晩夏にはかにはじまるを 中山純子 沙 羅以後
忘れめや母の雑煮と獄雑煮 橋本夢道 無類の妻
忘れものせしやうな昼小正月 桂信子 「草影」以後
忘れものせし如軽し単衣著て 八木春
忘れものとりに千里を茄子の馬 木村虹雨
忘れもののやうに母ゐる春炬燵 猪口節子
忘れものみな男傘春の雨 三輪初子
忘れものめきし音色に瓢の笛 山田 弘子
忘れものめきて土用の昼の月 奥山 昌美
忘れもの妻の追ひくる連翹垣 高澤良一 ねずみのこまくら
忘れゆく父の匂ひや海鞘赤く 斎藤信義「神色」
忘れよと忘れよと磯千鳥啼くか 稲垣きくの 黄 瀬
忘れよと言はれながらも懐手 ミュラー初子
忘れよ忘れよ掘る穴の先 濱渦洋子
忘れらる日に舞ふ落葉暗き落葉 千代田葛彦 旅人木
忘れられあるが如くに日向水 高濱虚子
忘れられいて忘れずに花茗荷 常盤たか子
忘れられしもの昼の月芦青し 大野林火
忘れられし四迷の墓や花の雨 出口裕興
忘れられし言葉のごとく鮎落ちゆく 田中裕明 花間一壺
忘れられた女とならず花薊 谷口桂子
忘れられてしづかに紅き金魚かな 清原枴童
忘れられゐしにはあらず茎の石 大橋敦子
忘れられをる愉しさや通し鴨 佐々木六戈 百韻反故 初學
忘れられ闇夜に泳ぐ鯉幟 大森玲子
忘れるも癒しのひとつ十二月 北原志満子
忘れゐしことのひとつの金魚飼ふ 軽部烏頭子
忘れゐしことの深さに恋歌留多 嶋田麻紀
忘れゐしときに水鶏の叩くかな 小玉竜也
忘れゐしはらから一人更衣 河野静雲
忘れゐしものの一つの絵双六 石川桂郎 四温
忘れゐしバケツの目高生きてをり 荒巻大愚
忘れゐしメロン荒々しくにほふ 辻桃子
忘れゐし一病兆す走り梅雨 幕内千恵
忘れゐし三鬼の髭や牡蠣の旬 佐藤鬼房 「何處へ」以降
忘れゐし人の賀状の二、三枚 田中冬二 俳句拾遺
忘れゐし仏かがやく枇杷の種 福田甲子雄
忘れゐし傘戻りきて夜の秋 長谷川櫂 天球
忘れゐし僅かな掛も乞はれけり 尾高青蹊子
忘れゐし唄がめざめて虹の中 加藤知世子
忘れゐし地より湧く花クロッカス 手島靖一
忘れゐし山河ありけり箱眼鏡 宮田硯水(白鷺)
忘れゐし投函に出てそぞろ寒 手塚基子
忘れゐし神代がありて桐の花 町田しげき
忘れゐし秋のルーペが一つ澄み 木村敏男
忘れゐし空の明るさ松手入 稲畑汀子 春光
忘れゐし空の胸より一葉落つ 手塚美佐 昔の香 以後
忘れゐし空地黄となす泡立草 山口波津女
忘れゐし籠にかみきり虫夜半の音 及川貞 榧の實
忘れゐし約束菊の苗とゞく 南出白妙女
忘れゐし網戸の部屋であることを 中島よし絵
忘れゐし花の種慌しく蒔けり 瀧春一 菜園
忘れゐし花よ真白き枇杷五弁 橋本多佳子
忘れゐし袂の銭や年の暮 吉田冬葉
忘れゐし遠き日かへる日傘の裏 佐野美智
忘れゐし頃に現はれ机の蟻 高澤良一 素抱
忘れんと泳ぎ来し眼の蒼を帯ぶや 川口重美
忘れ井にちらちら浮くやわかな屑 梅室
忘れ井にもう冬の星出でゐたり 中戸川朝人 星辰
忘れ傘預り傘に年逝かす 鈴木真砂女
忘れ居しはらから一人更衣 河野静雲 閻魔
忘れ居し金一両や暮の春 菅原師竹句集
忘れ居りし鉢に花さく春日哉 春日 正岡子規
忘れ帽子は 雲の切れ端 裏日本 伊丹公子 時間紀行
忘れ帽子地蔵がかぶり天高し 市野沢弘子
忘れ庵檜風松風しだのかぜ 中勘助
忘れ庵秋風に蜘蛛成佛す 中勘助
忘れ得ぬバレンタインの日の言葉 堂前悦子
忘れ得ぬ事となりつゝ日脚伸ぶ 星野立子
忘れ得ぬ人ある倖せえごの花 及川貞
忘れ得ぬ母のくちびる火吹竹 吉田汀史
忘れ得ぬ空も十夜の泪かな 向井去来
忘れ得ぬ訥々の言ぬくめ酒 杉本寛
忘れ来し扇の事にこだはりて 宇佐美輝子
忘れ汐いそぎんちやくの花咲かせ 小坂蛍泉
忘れ汐しづかに蟹のかさなれる 井上弘美
忘れ潮ありたる切干莚かな はりまだいすけ
忘れ潮いくたび春の雲通る 大獄青児
忘れ潮いそぎんちゃくもゆめを見る 藤田湘子
忘れ潮くらし寄居虫沈むなり 斎藤道子
忘れ潮それぞれに照り秋思かな 脇本星浪
忘れ潮といふもをりをり冬日照り 山口草堂
忘れ潮どほし通へり冬礁 鈴木貞雄
忘れ潮ひかるくらさに梅雨の月 鳥越すみこ
忘れ潮一国のごと春の雲 花田成子
忘れ潮光る渚や十三夜 山本歩禅
忘れ潮海月も忘れられてをり 清水忠彦
忘れ潮蜻蛉の影つと消えし 西村和子 かりそめならず
忘れ物したる如くに春惜む 伊藤虚舟
忘れ物せし子追ひゆく雪催 徳丸峻二
忘れ物に虫籠もあり盆の寺 林佑子
忘れ物出てきたやうに雪解村 阿部静雄
忘れ物扇一本と停車場 忘れ扇 正岡子規
忘れ物無しと金魚にうなづきぬ 中内美知子
忘れ置し頭巾の裏を見られけり 頭巾 正岡子規
忘れ羽子少し汚れて美しや 上野泰 佐介
忘れ花わがマドンナも猫背かな 小原樗才
忘れ苗流るつかのまの夜明星 中拓夫 愛鷹
忘れ草菜飯に摘まん年の暮 松尾芭蕉
忘れ鍬ときをり影に今日の月 松山足羽
忘れ雪忘れずに降り誕生日 西本一都
忘れ雪明日は別るゝ女とあり 松木百枝
忘れ雪未来はなやぎ過去うする 西本一都 景色
忘れ雪消えて渚のゆれやまず 野澤節子 黄 炎
忘れ雪白樺とありさびしからず 村越化石 山國抄
忘れ雪近くは舞いてしまくなり 小坂順子
忘れ霜つねに言ひたき遺影の口 加藤楸邨
忘れ霜モノクロ映画に血の騒ぐ 小池 溢
忘れ霜一茶に七番日記かな 藤田あけ烏 赤松
忘れ霜忘れし頃に桑の芽に 倉田紘文
忘れ霜謡ひ継がれし海女の墓 浜田みずき 『石蕗の花』
忘れ音といふこと威銃にあり 石田勝彦 秋興
忘れ音に鳴く妻猫や春の霜 二柳
忙しき日なりき暑さ忘れゐし 松尾静子
思はざる闇に崎あり忘れ野火 桂樟蹊子
恋なくて幾日すぎけむ献立に茄子の忘れ煮ひとつ加へむ 山中智恵子
恋の肝 枯木に忘れて帰りましよう 松本恭子
恋猫がうしろ忘れているうしろ 池田澄子
恋猫として愛嬌を忘れたる 後藤比奈夫 めんない千鳥
恩を謝し怨を忘れあたゝかし 富安風生
息白く戻り来し子の忘れ物 岡田順子
息白し子の忘れ物追ひかけてへ嗜 豊岡美千江
悴みし手に忘れざる母の息 土屋玲子
悴んで聞いて忘れてしまふこと 稲畑汀子 春光
愛生園の白き牡丹に唇よせし盲ひし一人いまに忘れず 中野菊夫
憂き事を忘れんとして胡麻叩く 三浦音和
我昔揚屋に年を忘れける 左衛門
戒名を忘れてしまひ迎鐘 佐藤康典
戦前の藍玉あるを忘れゐし 萩原麦草 麦嵐
戸締まりを忘れ山住み明易し 宮本愛子
扉に垂れし忘れロザリオ彩涼し 下村ひろし 西陲集
手をつなぐことも忘れず花火見る 中本真人
手を合わすことも忘れて冬の蝿 東 智恵子
手を通す忘れられゐしアロハにも 高澤良一 寒暑
手を逸れて寄居虫なりけり忘れ潮 手島 靖一
手拭を杭に忘れし冬菜畑 大西初女
手袋に忘れし暖とわが脈と 赤尾兜子
手袋のほか何か忘れし坂の上 林翔 和紙
手袋の忘れてありし懺悔台 三枝正子
手袋の片手穂高に忘れけり 冨村みと
手袋を展望台に忘れ来し 石川文子
手袋を忘れし人を追ふ手かな 林 翔
手袋を脱ぐとき何か忘れをり 辺見じゅん
手鏡のかげりはつかに忘れ雪 三田きえ子
折鶴の折り方忘れ雪の暮 七田谷まりうす
抱卵を忘れし鶏よ草の花 綿貫伸子
拗ねる子の道に屈めり忘れ霜 詫摩まつ子 『卒寿』
持てる翅忘れ蟷螂すぐ怒る 津田清子 二人称
指吸うて母を忘れし二月かな 板垣鋭太郎
捩り花ねぢるを忘れ天を指す 津田有利子
排卵を忘れて葦の羽毛かな 豊口陽子
排気の火涼し戦火を忘れねど 殿村莵絲子 牡 丹
掛乞の帽子忘れし寒さ哉 掛乞 正岡子規
掛乞の忘れてゆきし帽子かな 佐藤大愚
探しもの始めて湯冷め忘れをり 神鳥倫子
探す家の番地忘れぬ豆の花 吐天
揺れてゐることを忘れて牡蠣船に 稲畑汀子
摂待に聞いて忘れし御布令かな 蕪村
摘草を紙につつみて忘れけり 田中裕明 櫻姫譚
摺る墨の香は忘れずよ冬の蝿 白雄
故山我を芹つむ我を忘れしや 橋石 和栲
故旧忘れ得べきやメーデーあとの薄日焼 古沢太穂
故郷をすつかり忘れ残る鴨 猪瀬 幸
敗戦前夜の裾濃の蚊帳よ忘れたき 池田澄子 たましいの話
教へ子の来る日よ都忘れ買ふ 辻 恵美子
教室の机上に残す都忘れ 堂本ヒロ子
敬老日ころっと忘れをりにけり 高澤良一 宿好
敬老日つねは忘れてゐし齢 長屋せい子
数へ日や是々非々何か忘れゐし 河野南畦 『広場』
新月や掃き忘れたる萩落葉 飯田蛇笏 霊芝
旅にあることも忘れて朝寝かな 高浜虚子
旅に出て忘れ勤労感謝の日 鷹羽狩行
日の入るを忘れて伊勢の春の鳶 中拓夫
日めくりをめくり忘れて茎立てる 酒井英子
日傘さして草に坐りて空忘れ 阿部みどり女
日向ぼこ世間の事をみな忘れ 福井玲堂
日向水ほどに温もる忘れ潮 山内遊糸(蘇鉄)
日本語すっかり忘れ薬掘る 栗原 義人堂
日沈むや鵙忘れたる山河あり 原石鼎
日盛りの唐鳩は声忘れしか 斎藤道子
日移るや干飯移す忘れざり 檜垣括刳
旧年の畑に忘れし手鍬かな 小泗
早稲の花しろじろと夏忘れ酒 佐野良太 樫
旭川忘れじに忘れ雪 西本一都
旱星流木は山忘れざる 大庭紫逢
明日よりは病忘れて菊枕 高浜虚子
昏れし向日葵に昏れし岩群を忘れゐぬ 石橋辰之助 山暦
春かけて旅の万やとし忘れ 惟然
春ごたつ夢に手足を忘れきて 向野由貴子
春のりんごの酸味はすぐに忘れたり 細見綾子 黄 炎
春の晝 えびがには 空罐に忘れてある 吉岡禅寺洞
春の波くづるゝことを忘れしや 鈴木真砂女
春の虱も忘れ参じし師の訃かな 長谷川かな女 雨 月
春の雁傘を忘れてもどりしよ 安住敦
春シヨール忘れしことも気づかずに 高木美紗子
春光の中春光を忘れゐし 奥田智久
春寒を少し歩きて忘れつゝ 稲畑汀子 春光
春愁やインキの壺に蓋忘れ 森田峠 避暑散歩
春昼や消し忘れいる換気扇 小岩秀子
春暁のからくり時計鳴り忘れ 永滝繁男
春泥にゆだねて君を忘れめや 佐藤春夫 能火野人十七音詩抄
春潮の引力渚に忘れ貝 阿部みどり女
春炬燵してあることも忘れゐし 上村占魚 球磨
春眠の虚空に体置き忘れ 上野泰 佐介
春落葉焚きては昨日忘れけり 古賀まり子 緑の野
春銀座また出し忘れたる葉書ここ 永井龍男
春陰の蟹の目うごく忘れ潮 中拓夫
春障子閉め忘れとも開け放ち 佐々木六戈 百韻反故 冬の皺
春霰ことば忘れて来し父に 茨木和生 野迫川
春風の裏返し吹く忘れ物 岸田稚魚 『紅葉山』
昨日のこと葉桜にして忘れけり 菊池サイ
昭和など忘れて久し春時雨 高野ムツオ 蟲の王
昼の木菟いずこに妻を忘れしや 橋石 和栲
昼の虫衣桁に父の忘れもの 佐々木育子
昼寝するや窓の渓さへ打忘れ 尾崎迷堂 孤輪
昼顔や線路が忘れられてゐる 細見綾子
時国家都忘れが今も咲く 長谷川虚水
時蔵の忘れ扇でありにけり 大岡龍男
晩夏かな海を忘れてゐる乳房 小林邦子
晩夏光君を忘れて橋の上 塩見 恵介
暑にまけて言葉忘れしごとく居り 五十嵐八重子
暑に負けてみな字忘れて仮名書きに 星野立子
暖かやこの人の名を忘れゐる 永井龍男
暮永きかの街の空われ忘れず 川島彷徨子 榛の木
曝しあるものに眼鏡の忘れあり 後藤比奈夫
曝す書の唐詩もなべて忘れけり 細川加賀 生身魂
曲がることついつい忘れ優胡瓜 高澤良一 ぱらりとせ
更待の閉め忘れたる小窓かな 金沢 俊子
更紗どうだん咲かせ病を忘れけり 小林秀子
更衣して忘れものせし思ひ 柴田多鶴子
更衣しばししらみを忘れたり 一茶 ■寛政五年癸丑(三十一歳)
書初の平和の二文字忘れざれ 石塚友二 光塵
曼珠沙華忘れし頃に後の月 百合山羽公 故園
曼珠沙華忘れゐるとも野に赤し 野澤節子 黄 瀬
曾て見し海を忘れず松の木に 下村槐太 光背
月に行く漱石妻を忘れたり 漱石 (妻を遺して独り肥後に下る)
月の木戸しめ忘れたる夜風かな 飯田蛇笏 霊芝
月ひとつわすれかねたり忘れ庵 中勘助
月ほそし石垣に沿ふ忘れ雪 清水万里子
月一つ忘れて湖のしくれ哉 時雨 正岡子規
月上る忘れ置かれし芝刈器 永井龍男
月下美人その歯触りも忘れがたし 矢島渚男 百済野
月光にずぶ濡れとなり干し忘れ 中野陽路
月光に飾られていいか子を抱かず地上の湿り忘れていいか 辰巳泰子
月夜の海唄を忘れた鳥と吾 津田清子
月忘れをりて遊女の墓も冷ゆ 宇佐美魚目 天地存問
月日貝置き忘れたる昭和かな 高橋健文
月末の忘れし頃に大暑かな 高澤良一 素抱
月見草鉄砲水を忘れけり 文挟夫佐恵 雨 月
服の色忘れてあそぶ枯芦原 岡本眸
望郷や半ば忘れし手毬唄 横原律子
朝かほの垣や浴衣のほし忘れ 横井也有 蘿葉集
朝日出て螢の生死忘れられ 上田五千石 田園
朝顔の忘れられゐる種零す 高澤良一 燕音
朝顔の色を忘れし白さかな 渡邊水巴 富士
朝顔を蒔く日なりしを忘れけり 龍岡晋
木の股に猿の忘れし木の実かな 蝶衣句稿青垣山 高田蝶衣
木の芽雨すべてを忘れ眠らなん 田中冬二 俳句拾遺
木の葉髪掻いて訴ふ忘れ物 高澤良一 宿好
木の葉髪老母に我忘れられ 大橋敦子
木守柿うからやからをもう忘れ 高澤良一 さざなみやつこ
末枯や石に錆置く忘れ鎌 馬場移公子
末枯野何か忘れてきし思ひ 中村苑子
机上整理に病ひ忘れぬ鶏頭花 木歩句集 富田木歩
来し方の修羅忘れたりひひな菓子 北見さとる
東京に棲みつき都忘れかな 永島理江子
東京のせまき空より忘れ雪 土橋たかを
東京のどこかに忘れサングラス 嶋田一歩
東京の日日忘れよと夜々の霧 稲垣きくの 黄 瀬
東天紅忘れたる鶏涅槃変 大橋敦子 勾 玉以後
松蝉が忘れ去られぬために鳴く 加倉井秋を 午後の窓
松蝉に忘れゐしこと思ひ出す 狩野龍生
松過ぎしことをも忘れゐたるかな 黒川悦子
枇杷の花忘れしものに母のこゑ 鈴木鷹夫 風の祭
枇杷の花暮れて忘れし文を出す 塩谷はつ枝
枇杷値切る婦人忘れぬ貞操を 宮武寒々 朱卓
枇杷咲きぬ病忘れし日とてなく 福田蓼汀 山火
林檎紅し千曲忘れ江紺を張り 西本一都
枝豆や断ちて忘れし酒の味 野口里井
枝道の又枝道の忘れ雪 村越化石 山國抄
枯るること忘れ花あげいぬふぐり 西本一都 景色
枯園にこころ忘れていで来る 阿部みどり女
枯芝に忘れたる如待たされて 川上明女
枯野来て忘れしことを想ひ出す 河野南畦 湖の森
柏原足で崩せる忘れ霜 高澤良一 燕音
柚子きいろ父を忘れてゆく黄色 鎌倉佐弓
柚子もらふことをころりと忘れきし 井上和子
柳生街道とかげは尾つぽ置き忘れ 大木あまり 雲の塔
栽ゑ置いて忘れた菊の咲きさまよ 尾崎紅葉
桃の花死んでいることもう忘れ 鳴戸奈菜
桃咲くやすぐに忘れる他人の死 寺田京子 日の鷹
桃畠へ帽子を忘れきて遠し 展宏
桐の花先代の顔もう忘れ 高澤良一 素抱
桔梗や忌日忘れず妹の来る 吉武月二郎句集
桜見え都忘れ見え朝が来る 相馬遷子 山河
桜貝耳に忘れてゆく故郷 二村典子
桜餅みな児を忘れ同窓会 吉屋信子
桜餅身ぢかなものを詠み忘れ 亀井糸游
梅咲くと降り立ち恙忘れたる 小原うめ女
梅桃の接穂ちらばり忘れ霜 堀口星眠 営巣期
梅白し初心をとうに忘れおり 望月哲土
梅雨夕焼一羽の鴉こゑ忘れ 細川加賀 生身魂
梟の忘れものかも昼の月 石田勝彦
梟の飼はれて声を忘れをり 石寒太 炎環
梟時計鳴くこと忘れ星月夜 室生幸太郎
梨をむくとき忘れゐし指の怪我 稲畑汀子
棹ささんあやめのはての忘れ川 高橋 睦郎
植ゑし田の中の巌や忘れ笠 飯田蛇笏 山廬集
楊梅の味忘れめや餓鬼の舌 川崎展宏 冬
楝の実昼月という忘れもの 遠藤秀子
榛の花余呉は琵琶湖の忘れ潮 川井玉枝
槻落葉かの烈しさを忘れまじ 栗生純夫 科野路
樫の根の忘れ箒も初むかし 児玉南草
橇馳せて何忘れんとしてゐるや 田中妙子
橿鳥の八幡様に忘れ物 山本洋子
檀特や何度聞いても忘れ草 檀特花 正岡子規
欲深き婆の鵜の目を忘れめや 筑紫磐井 婆伽梵
歌留多とる忘れたはずの恋心 片山暁子
歎きに餌やる忘れて居しに寒卵 中村草田男
此処にして都忘れとはかなし 藤岡筑邨
武運長久忘れし神社七五三 辰巳比呂史
歯刷子を忘れて君は白鳥か 渡辺誠一郎
歳晩の群衆の背忘れられ 石原八束 空の渚
歳月の獄忘れめや冬木の瘤 秋元不死男
死にしこと忘れておりぬ麦の秋 高澤晶子 純愛
死ぬことを忘れてをりし心太 鈴木真砂女
死ぬことを忘れゐたると大根抜く 関森勝夫
死ぬことを忘れ歳々日向ぼこ 村越化石
死を忘れゐしが裸体の青きかな 八木三日女 紅 茸
死仕度忘れて野菊摘みゐたり 吉田汀史
死支度忘れがちなり菊枕 近藤一鴻
残る虫瓦斯の元栓締め忘れし 北野民夫
残菊や祈り忘れし日なり逝く 殿村莵絲子 牡 丹
母がりや都忘れは母の花 永澤 謙
母の名を忘れてゐたり氷点下 鳥居美智子
母の日を素通りさせて忘れはせず 鈴木 榮子
母は島籠め死に忘れして狂ひもせす 高柳重信
母忘れいしが激しく蝉鳴きだす 津沢マサ子 楕円の昼
毛糸編むことを忘れてをりし指 稲畑汀子 汀子第三句集
毛糸編むとふ優しきことを忘れゐし 鈴木栄子
毛虫嫌ひ陰忘れけり花盛 調翁子 選集「板東太郎」
水仙の花咲くことを忘れたり 水仙 正岡子規
水仙や海に鍛へし声忘れず 水原秋櫻子
水桶に一夜越しけり忘れ瓜 小澤碧童 碧童句集
水澄むや忘れぬことを供養とす 牧川昌子
水霜の忘れ鎌をば拾ひけり 和田暖泡
水飲んで忘れ上手や梨花の風 鳥居美智子
氷下魚釣り山に懸れる日を忘れ 西村公鳳
永平寺東司の都忘れかな 堤 保徳
汐の香をいつか忘れし磯遊び 柴田佐知子
汐の香をしをりし忘れ扇かな 三田きえ子
汝が好きの矢車草は忘れまじ 杉原竹女
汝が忘れ扇とて持ち来りたり 高濱年尾 年尾句集
汽笛止む咳の一人を忘れゐしに 桂樟蹊子
沖忘れたる流木に水仙花 服部嵐翠
沖繩の本に挟んだまま忘れ 武馬久仁祐
沙羅の花 死を忘れずに生きのびて 伊丹三樹彦 花恋句集二部作 花仙人
沙羅浄土穢土を忘れてをりにけり 倉橋弘躬
河鹿聞きつつ何忘れんとしてゐしや 木村恵洲
油買ふて炭買ふことを忘れたり 炭 正岡子規
治聾酒を忘れてゐたり一人のむ 内田鳥亭
沼日和元日といふこと忘れ 石井とし夫
波音のほかを忘れてゐてのどか 保坂伸秋
波音もいつしか忘れ防風摘む 御堂御名子
泣きに来てハンカチ忘れゆきにけり 成沢富子(魚座)
泣きに来て忘れてゆきし秋扇 小川閑魚
洗はれて蕪は土を忘れけり 宋 寿寿
洛中のいづこに扇忘れ来し 丸山佳子
洛北の雨の細さよ忘れ草 澤村昭代
流星を見し刻忘れ場所忘れ 星野立子
流木につきゐし春の蟻忘れず 加藤楸邨
浅草を忘れしごとく鮨を食ふ 杉山 岳陽
浅間嶺に忘れ霧氷や紅玉婚 西本一都
浜木綿に鍵を忘れず持たれしか 長谷川かな女 花寂び
浜防風その他は海に忘れけり 竹内尚子
浮き上がる飛石一つ忘れ霜 内藤千鶴子
海おぼろ忘れしころに浪くだけ 若木一朗
海がおのれ忘れてゐたる干潟かな 大屋達冶
海しばし窓に忘れし油照り 松澤昭 安曇
海ほおずき忘れられゆく海がある 高桑婦美子
海女の櫛忘れてありぬ浜おもと 沖一風
海女日焼せし日は乳房忘れゐる 金賀勿来
海女行けば寄居虫ずり落つ忘れ潮 山口誓子
海牛をおいてけぼりに忘れ潮 高澤良一 随笑
海苔掻女笑ひ忘れて戻りけり 小川原嘘帥
海鞘は神話昨夜のことみな忘れ果て 小堤香珠
海鼠たること忘れたる海鼠かな 藤岡筑邨
海鼠だゝみや有し形を忘れ顔 炭 太祇 太祇句選
涅槃図に泣き声を描き忘れけり 宮坂静生
消し忘れのビデオテープと寒き恋 櫂未知子 貴族
消し忘れゐて秋灯にほかならず 杓谷多見夫
涼しく女の名聞いて忘れて女と居る 荻原井泉水
涼風や忘れしもののかへり来る 阿部みどり女
渡り鳥見てをり空をふと忘れ 中村菊一郎
渤海の凍てし渚の忘れ汐 高濱年尾 年尾句集
湖涸れて忘れ竹瓮のありにけり 飯田青水
湯気たてて起居忘れし如くなり 松本たかし
湯気立ててをりぬ何かを忘れをりぬ 岡本眸 午後の椅子
湯気立てることも忘れず看取妻 鈴木蘆洲
湯豆腐は羽を忘れて揺られて 渡辺誠一郎
満月の野の影となる忘れ鍬 小出秋光
満潮や海月は泳ぐこと忘れ 白井新一
溝跳んでいま見し花を忘れけり 大石悦子 群萌
滝なりしこと忘れ得ず雪解川 鳥居美智子
滝口に草刈鎌を忘れけり 山本洋子
漂流記読みて暑さを忘れけり 相生垣瓜人 明治草抄
漢字ひとつふたつ忘れて雛飾る 仙田洋子 橋のあなたに
漫陀羅図掛けて炎昼忘れをり 河野南畦
漱石忌忘れてぞ経し師走月 阿部次郎
瀧の音ひびきて忘れ扇かな 細川加賀 『玉虫』以後
瀬戸の海へ人忘れけり春の雁 小林康治 玄霜
火をさばく尖に火のつく忘れ霜 武藤ともお
火葬場の青木の実空忘れをり 長谷川双魚 風形
灯に淋し都忘れの色失せて 稲畑汀子
灯りて何か忘れし火燵かな 金尾梅の門 古志の歌
炉火にうとき癩の忘れ身さすり生く 金子晃典 『望郷独語』
炎昼を来てたましひを置き忘れ 出井一雨
烏瓜蔓を忘れて真つ赤なり 大澤ひろし
焼甘藷屋月を高きに置き忘れ 岸風三樓
煤掃や脱ぎ忘れたる草履どこ 河野静雲 閻魔
煤掃酒庫の神棚忘れじな 西山泊雲 泊雲句集
煮凝の貧忘れめや一昔 寒烟(かんえん)喜谷六花、内田易川編
熔接の地にこぼす火は忘れらる 林田紀音夫
熱燗や忘れるはずの社歌ぽろり 朝日彩湖
燈籠や雲を忘れし海の空 大場白水郎 散木集
燕や何を忘れて中がへり 乙由
燕来る野の香町の香忘れずに 豊田 晃
爪先で歩く回廊忘れ雪 飯田克子
父のことは忘れて生きやさくらんぼ 金箱戈止夫
父の忌を忘れし母や水温む 西澤寿林子
父の忌を忘れていたり沙羅の花 秋月梓
父の忌を忘れて過ぎし窓若葉 川崎展宏
父の日の忘れられをり波戻る 田川飛旅子 『植樹祭』
父の日や仏の山の忘れ水 森田公司
父の荷は忘れてきたか時鳥 宇多喜代子
父の靴磨き忘れずこどもの日 亀井糸游
父亡きを忘れてをりしすいと鳴く 太田土男
父母を忘れて暮らす栗の花 岩淵喜代子 螢袋に灯をともす
爽やかに物を忘れてゐるがよき 高木晴子 花 季
片ゑくぼゆゑに忘れず初笑窪 斉藤美規
片仮名の名はすぐ忘れ室の花 松本泰志
片蔭の出島は海を忘れけり 鈴木鷹夫 渚通り
片蔭や老体ひとつ忘れられ 綾部仁喜 寒木
牛競り続く片手の少年片手忘れ 坪内稔典
牡丹の散れば忘れてしまふこと 汀子
犬ふぐり約束とんと忘れけり 渕野陽鳥
独り身や上野歩行てとし忘れ 一茶
狸罠仕掛けて忘れ逝きにけり 和湖長六
猫の椀に残飯白きを今も忘れず 細谷源二 砂金帯
玉手箱忘れて来たり春の夢 棚山波朗
珊瑚樹の花さへ今日は忘れ難し 下村槐太 天涯
琴爪のしまひ忘れてある寒さ 鈴木鷹夫 大津絵
瓜の花雫いかなる忘れ草 芭蕉「類柑子」
瓜を揉み忘れゐしこと忘れしむ 金久美智子
瓢苗忘れゐし間にからまりし 長谷川櫂 蓬莱
甚平着て忘れ上手となりにけり 疋田秋思
生きすぎて忘れらるるな山椒魚 鷹羽狩行「十友」
生きてゐることを忘れて日向ぼこ 水谷仁志子
生きてゐること忘れられ目貼りせる 田川飛旅子 『山法師』
生の松いかに忘れん汗拭 榎本其角
生国を忘れし母の息白し 大木あまり 雲の塔
生意気小僧忘れてゆきし破魔矢かな 八木林之介 青霞集
生身魂ちちははの父忘れがち 肥田埜勝美
用ひとつ忘れ心地に除夜の鐘 岩崎きゑ子
田作を噛みて名前の忘れ初め 榎本好宏
田草取立ち上らねば忘れられ 野見山ひふみ
申訳なき忘れごと冬の雨 市川東子房
畏くも忘れ扇の骨が出て 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
畑打やゆふべの恋も忘れ顔 畑打 正岡子規
畳替う焦げ痕のいろ忘れたく 青木つね子
疲れつぽく忘れつぽく年逝かす 小出秋光
病むといふ言葉忘れむ秋深し 阿部みどり女 月下美人
病よき老母が甘ゆ忘れ雪 岸田稚魚 筍流し
病室に忘れし手套寒ゆるぶ 石田あき子 見舞籠
病室の忘れ日傘も暮れにけり 斉藤史子(白露)
病葉や杖を忘れし黄泉の母 片桐基城
癌の恐怖忘れてゐしに蘇枋咲く 篠田悌二郎
発端は忘れ月下の会議室 石寒太 翔
白地着て何か忘れしごとくゐる 児玉輝代
白山が見え玉乗を忘れめや 橋石 和栲
白日傘海の向うへ忘れけり 相沢量子
白木蓮君を忘れて眠るとは 津田清子
白水仙一病忘れてゐたりけり 大河原一石
白玉や無理に忘れることもなし 宇佐美ちゑ子
白芥子や冷たきこゑを忘れざる 仙田洋子 橋のあなたに
白菊や母にふえたる忘れごと 杉本寛
白靴や忘れて生きること多き 西村和子 かりそめならず
白魚の目の乾きたる忘れ篭 平戸てる
白鳥とゐてこひびとを忘れけり 榊 倫代
白鳥の村に手袋忘れたる 石田勝彦
百年をまとめて忘れ鮟鱇鍋 須原和男
百度石忘れられをり針供養 高木晴子 花 季
皆忘れて仕舞ふこの頃枇杷の花 高澤良一 素抱
皮手袋を忘れたり朝の喫茶店 中拓夫 愛鷹
盆ちやうちん仕舞ひ忘れて双魚の忌 長谷川久々子
目まとひを忘れゐる間も払ひをり 藤本南斗
目印の木瓜が無い 忘れ時間の町 伊丹公子 ドリアンの棘
看取りゐて桃の節句を忘れゐし 川口咲子
真清水や世に小峠の忘れられ 野村喜舟 小石川
真青な海を忘れて松手入 細井みち
真青にわらび煮て風邪忘れけり 及川貞 夕焼
眠ること忘れて編みし日の毛糸 高田よし子
眼鏡置き忘れしよりの花疲れ 谿昭哉 『航跡』
短夜のゆめな忘れそハムレット 会津八一
石に忘れし鋏に夕立煙あげて 河野静雲 閻魔
石段に忘れ扇や鳳来寺 岡田耿陽
破魔矢あり追儺豆買ひ忘れても 及川貞
磨崖仏萩が忘れし風を呼ぶ 河野南畦 湖の森
祇王寺の都忘れに籠る尼 竹内万紗子
祈り来しことみな忘れ冷やつこ 加藤知世子 花 季
神の名を一つ忘れし宝舟 高木青二郎
神棚に忘れしままの小豆粥 杉千代志
神苑の杜を歩けば忘れ角 白井八重子
福寿草咲くを待ちつつ忘れたる 佐藤紅緑
秋の噴泉かのソネットをな忘れそ 寺山修司 花粉航海
秋の昼何に起ちしか忘れたる 西尾一
秋の草大原の寺忘れめや 西山泊雲 泊雲句集
秋の蝶黄なり何かを忘れよと 中村汀女
秋嶺に置き忘れたる池ひとつ 福田蓼汀 秋風挽歌
秋日和散歩唱歌も忘れゐし 相生垣瓜人 明治草抄
秋晴のどこかに杖を忘れけり 松本たかし
秋晴の何處かに杖を忘れけり 松本たかし
秋晴の雲も流るること忘れ 井沢正江 湖の伝説以後
秋晴れに置き忘れたる夢の嵩 五十嵐米子
秋水に跼みて人を忘れゐし 稲垣きくの 黄 瀬
秋潮の引き行く後の忘れ潮 坂口 サカヱ
秋灯に音を忘れし硝子器具 浅賀渡洋
秋空や嵐忘れし雲高く 野村喜舟 小石川
秋羽織榊忘れて禰宜もどる 大島民郎
秋風の吹き忘れたる雲少し 小川竜雄
秋風やうかと忘れし金のこと 吉屋信子
稚魚加賀を忘れかけたる冬霞 鈴木鷹夫 風の祭
稻妻や盥の底の忘れ水 稲妻 正岡子規
穴へ忘れし汽車などとほい樹上や 攝津幸彦
穴へ忘れられ穴掘りたる手袋は 加倉井秋を
空つ風忘れて過ぎし菊屋橋 石川桂郎 高蘆
空仰ぎて父母を忘れし夜涼かな 中島月笠 月笠句集
空腹や人の名忘れ青蛙 井上末夫
立つことを忘れし老の稲刈か 皆吉爽雨
立冬の手鉤打たれて忘れらる 白井房夫
立子病む春水の句の忘れめや 峠
立泳ぐ狩を忘れし男来て 神尾久美子 桐の木以後
端居して憂きこと忘れゐるをふと 上野章子
竹夫人子を生みしこと忘れたり 西村葉子
竹皮を脱ぐ半分を脱ぎ忘れ 大橋敦子 手 鞠
竹筒に挿し忘れたる扇かな 吉武月二郎句集
笑ふこと忘れし顔の冬に入る 田畑美穂女
笹鳴のほとを忘れしほとの神 森澄雄
笹鳴の経を忘れてゆきしかな 佐々木六戈 百韻反故 冬の皺
笹鳴や杣の忘れし鉈袋 原 天明
筆硯や二百十日を忘れ過ぎ 石川桂郎 四温
筒鳥の忘れしころを鳴きにけり 愛澤 豊嗣
節季候や年の岸なる忘れ草 上島鬼貫
簡単な文字を忘れて夏衣 川崎展宏
簿書堆裡忘れ扇のありにけり 青峰集 島田青峰
籐椅子に眠れば人に忘れられ 岩淵喜代子 螢袋に灯をともす
籐椅子を立ちて来し用忘れけり 安住敦
籠枕真昼の夢はすぐ忘れ 吉屋信子
粟の花や淀も桂も忘れ水 言水
粥占に飽食の世を忘れけり 百合山羽公
糸すゝきこぞの乱れを忘れけむ 林原耒井 蜩
約束の日を忘れゐて日脚のぶ 阿部みどり女
紅梅の淡きがもとの忘れ雪 橋本鶏二 年輪
紅葉づれる木にターザンの忘れ綱 服部たか子
紅葉の湖のさかなは食べて名忘れぬ 林原耒井 蜩
素兄忌の忘れられゐし茄子の花 菖蒲あや
素足だから忘れてしまう沙羅双樹 大下真利子
紫の厚きを都忘れとて 後藤夜半
紫雲英田にこころ忘れて来てしまふ 野木桃花
細々と忘れな草に雨ふりぬ 村上[へい]魚
細螺そのほか深く秘め忘れ潮 鷹羽狩行
終電や踏みて匂はす忘れ葱 加藤秋邨 まぼろしの鹿
絵日傘を夜の銀座に忘れけり 大村やよひ
絽の皺や忘れたき日の記憶かな 谷口桂子
綺羅星にすつかり忘れ憂き梅雨を 葛岡伊佐緒
綿虫や病忘れて客用意 亀井糸游
緋椿に雪を忘れし羆座す 長谷川かな女 牡 丹
緋連雀きのうのことはみな忘れ 宮崎重作
緑蔭にて「何歳ですか」「忘れたよ」 工藤克巳
緑陰に馬を忘れて行きにけり 高室呉龍
繭煮ゆる夜の匂いを忘れず 橋本夢道 無禮なる妻抄
繭玉や父を忘れし母の顔 岸田稚魚 筍流し
纏ふもの忘れ行く麗ら鶏の中 安斎櫻[カイ]子
罎の金魚憐みつゝも忘れがち 石島雉子郎
置き忘れられさうにある日傘かな 長谷川朝子
置忘れ来し十六夜の女傘 岸田稚魚 『雪涅槃』
美しき忘れ団扇の山家かな 大峯あきら
羽子つくや母といふこと忘れをり 池上不二子
翔つことを忘れしよりの凍蝶と 稲畑汀子
翡翆に遅刻の事は忘れ居し 竹下しづの女 [はやて]
翡翠に忘れかねたる都かな 雑草 長谷川零餘子
翡翠に遅刻の事は忘れ居し 竹下しづの女句文集 昭和十一年
老ゆらくをさやさや都忘れかな 岩城久治
老を知り老を忘れて春の風 深見けん二 日月
老鶴の天を忘れて水温む 飯田蛇笏
耕してそのあと忘れゐるごとし 宮津昭彦
耳ありしこと忘れをり雪解川 増成栗人
耳鳴りを忘れてをりし蝉しぐれ 杉山よしの
肝腎な用忘れ居たり昼寝妻 阿部みどり女 笹鳴
背泳にしばらく水を忘れゐる 登四郎
胡桃掌に忘れ上手が身につきし 高橋利子
腕時計飽きて忘れて初袷 岡崎莉花女
臥待の月ともなれば忘れがち 江本 如山
自然薯の忘れられたる葉一枚 遠藤久子
舟遊び火宅を忘れをりにけり 菅原けい
船に忘れし扇憶へば波模様 林翔
船室の忘れな草のなえにけり 佐藤眉峰
船宿に置き忘れある白日傘 桂信子 花影
船宿の忘れ風鈴潮じめり 石川文子
船底に置きて忘れし秋の色 高橋龍
船底掃く夕べの鬱を忘れる為に 西川徹郎 天女と修羅
船虫や鏡のごとき忘れ潮 中込省三
色街に老を忘れて白上布 伊豫田道子
艸いきれ忘れて水の流るゝや 青々
芋の秋初孫ふぐり忘れずに 西島麦南
芋の葉の露して蜘蛛の忘れ絲 鈴木花蓑 鈴木花蓑句集
芒谷なにかからりと忘れをり 宮坂静生 山開
芙蓉咲き続きて忘れがちの日々 野見山ひふみ
芭蕉林ゆき太陽を忘れけり 野見山朱鳥
花あんず味噌倉の扉の閉め忘れ 草間時彦 櫻山
花しどみ赤鬼どもの忘れもの 山中葛子
花すすき手足忘れにきたりけり 鈴木慶子
花どきの窓開け忘れ閉ぢ忘れ 橋本榮治 麦生
花に酔ひ傘忘れたる夜みちかな 石川桂郎 四温
花の名は都忘れと書きとどむ 椎橋清翠
花の名を聞いて忘れて花野行く 町 春草
花の山たましい一つ置き忘れ 武田和郎
花の昼みんな忘れてねむりけり 合田扶美子
花下に在り花あることを忘れをり 前山百年
花会式夜空に塔は忘れられ 丸山哲郎
花冷えの伎芸天女を忘れめや 柴田白葉女 『朝の木』
花売りの忘れてゆきし蝶飛べり 山崎和賀流
花石榴忘れ上手になりにけり 清水ふさ子
花祭いつか日傘を忘れし寺 阿部みどり女
花種蒔く呟きて世を忘れつゝ 堀口星眠
花筏一粒神の忘れもの 高橋良子
花萱草部落十戸に忘れ汐 杉本寛
花薄荷かいではすぐに香を忘れ 如月真菜
花蘇枋ねむり忘れし色があり 河野友人
花見客杖を忘れし身延線 高澤良一 燕音
花野来てひき返すこと忘れをり 石川文子
花野行かかるゆとりを忘れゐし 川野辺晋
花鋏忘れしは枯木賊の辺 岡本差知子
芹の水照るに用心忘れた鶏 波多野爽波 『湯呑』
芽ぶきゐる木の名ききしが忘れけり 川島彷徨子 榛の木
苔寒く母を忘れてゐたりけり 永田耕衣 奪鈔
若水や老を忘れて筒井筒 乙由
若草や空を忘れし籠の鶴 飯田蛇笏 山廬集
苺買ふ子の誕生日忘れねば 安住敦
茅花の穂光り忘れてゐる時も 佐藤裸人
茉莉白しかたへのをんな忘れられ 林原耒井 蜩
茗荷の根濡らしてすゑは忘れ川 高橋睦郎 稽古
茗荷の花忘れてしまひし櫛笄 長谷川かな女 花寂び
茗荷汁愛なき恋は忘れたく 東浦六代
茗荷畑ありしあたりか忘れ花 横井也有 蘿葉集
茨の実忘れし恋のありにけり 小泉良子
茴香やくびのしわなど忘れて寝 澁谷道
茶の花の咲くまで忘れられし径 小川笹舟
茶の花や忘れし頃に便り来て 片山由美子 天弓
茶畑に帽子忘れて日を忘る 八木三日女 落葉期
草いきれ忘れて水の流るゝや 松瀬青々
草の戸の閉め忘れある朧かな 坊城春軒
草の花窯場に妻を置忘れ 鈴木鷹夫 渚通り
草の餅母の忌日を忘れまじ 椎橋清翠
草も生えぬ島に忘れてきた帽子 橋 間石
草抜きに執し死などは忘れをり 植村花
草摘みの誰もうしろを忘れけり 後藤秋邑
草萌のまつただなかの忘れ井戸 柴田白葉女 花寂び 以後
荒るる海来しこと忘れ野に遊ぶ 稲畑汀子
荒れ狂ふ海を忘れて冬籠 池内たけし
荒祭けふ諏訪人ら田を忘れ 肥田埜勝美
菊冷えに花器の水替へ忘れをり 河野南畦 湖の森
菜の花や淀も桂も忘れ水 言水
菩提子に風の忘れ音ありにけり 小林 澪
萌え草に杖を忘れて母逝きし 今瀬剛一
落椿鳴るを忘れし鐘一つ 鍵和田[ゆう]子 浮標
落葉なか忘れむとして身を置けり 松村蒼石 雪
落葉に白き納め忘れのミルク瓶 有働亨 汐路
葉桜や今をどこかにおき忘れ 大林信爾
葉桜や忘れし傘を取りに来ず 安住敦
葛切や何か忘れしまま一と日 湊淑子「実生」
葢とれば壺のいきれや忘れ梅 会津八一
葦火してしばし孤独を忘れをる 竹下しづの女 [はやて]
葦牙の水のつぶやき忘れ潮 佐藤鬼房
葬りの夜ががんぼ脚を忘れしよ 長谷英夫
葱を裂き父を忘れてゐたりけり 桑原三郎 春亂
蓮咲いて忘れゐしものわが齢 赤松[けい]子 白毫
蔦紅葉おのれの歳忘れをり 岩淵喜代子
蕎麦刈るや百舌鳥高鳴す忘れ時 広江八重桜
蕗の照り風浴びつ恙忘れをり 金尾梅の門 古志の歌
蕗の薹すつぽり入れて忘れ罠 大熊輝一 土の香
蕗茄でて甘ゆる言葉忘れゆく 殿村莵絲子 花寂び 以後
蕾はや人恋ふ都忘れかな 倉田絋文
薔薇どきの噴霧器門に置き忘れ 高澤良一 素抱
薪能月あることを忘れゐし 鈴鹿野風呂
薫風に人死す忘れらるゝため 遷子
薬飲み忘れてをりぬ三十三才 永方裕子
薺の句薺打つ日を忘れたり 高浜虚子
薺打つ唄の終りは忘れしが 奥田とみ子
薺粥吹いてど忘れしてしまう 大熊弘子
藤すだれ齢忘れし声ばかり 荒武 蕾
蘆枯れてひかり忘れし余呉の月 井口 秀二
蘆火してしばし孤独を忘れをる 竹下しづの女
蘭蝶を弾かせて年を忘れけり 阿部みどり女 笹鳴
虹立てる色のはじめを忘れけり 石寒太 翔
蚊帳あつし吾子が忘れし蜻蛉とび 加藤秋邨 寒雷
蚤に覚めをり百憂忘れしに 篠田悌二郎 風雪前
蚤飛んで素破やと起きて忘れけり 清水基吉 寒蕭々
蛇捕りの忘れてゆきし銀煙管 原田青児
蛇皮をぬぐ大いなる忘れ物 今瀬剛一
蛇穴に入るを忘れし日和かな 松下宏民
蛭蓆念珠忘れて来たりけり 関戸靖子
蛾の翅を忘れてゆきし犀星碑 吉田紫乃
蜂飛んでゐるとき脚を忘れをり 江川虹村
蜘蛛の子の糸を忘れて落ちにけり 河野南畦 『元禄の夢』
蜩に忘れ置かれし花鋏 谷中隆子
蜩の聲に戸をさす忘れ庵 中勘助
蜩や子規忌を忘れ患者食 角川源義 『西行の日』
蜩よ後頭を野に忘れ来て 柿本多映
蜻蛉に垢じみし己れと忘れ行く 原石鼎
蜻蛉や戻り道する忘れもの 烏不關句集 織田烏不關、吉田冬葉選
蜻蛉一游柄を立てゝ忘れ鍬 友岡子郷 遠方
蝉の樹下あらゆる絆忘れゐる 鍵和田[ゆう]子 未来図
蝉声や没つるを忘れ夕日あり 殿村莵絲子
蝉籠の蝉鳴く孫の忘れもの 金子伊昔紅
蝉鳴いて落ちて秋きぬ忘れ庵 勘助
蝙蝠飛ぶ墓石の角を忘れしめず 小檜山繁子
蝶が蝶に出遇ふしばらく花忘れ 鈴木鷹夫 渚通り
蝶の来て言ふ事をふと忘れけり 多代女
螢追ひゐて人間は尾を忘れ 今瀬剛一
蟹毟りもののあはれを忘れをり 北見さとる
蟻地獄畳のにほひ忘れ得ず 宮坂静生 山開
行々子月に鳴きやむこと忘れ 石井とし夫
行く方を何か忘れぬ末枯るる 中村汀女
行く春の電車は音を忘れけり 間瀬一象
行く春や手鏡ほどの忘れ潮 大畑峰子
行春の一つの旅を忘れ得ず 星野椿
西行の忘れおきしか笠一ツ 正岡子規
見し夢を忘れかねつつ髢草 中尾寿美子
覚えては忘れてさくらふぶきかな 柚木 紀子
親にあふて一日秋を忘れけり 秋 正岡子規
観音の手に手袋の忘れもの 綾部仁喜 樸簡
角の重さ忘れゐる牛薫風に 平井さち子 紅き栞
言づてをとんと忘れて帰り花 高澤良一 燕音
言ひそびれそれも忘れて秋夕焼 松村多美
言ひたきをふっと忘れて蝌蚪の紐 水野あき子
託(ことづか)る注連・松・牛蒡忘れまじ 高澤良一 宿好
許すとは忘れることよ秋桜 藤本さなえ
誕生日忘れて過ぎぬえご散りぬ 及川貞 夕焼
調律を忘れしピアノ冬日向 小野あゆみ
諍も忘れていつか羽抜鶏 島本研二
豊頬の古仏忘れめ鳥雲に 河野南畦 『風の岬』
豹紋の忘れコートがカフエテラス 増田治子
貌鳥となるまで忘れられてをり 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
貝殻に溜まる彼岸の忘れ汐 小林洋子
貰ひ来て名を忘れたる菌かな 松藤夏山 夏山句集
買ひ忘れ着ぶくれ走る歳の末 谷垣愛子
賀客去り忘れ玩具が歩き出す 中村明子
賛美歌のふし忘れずに母よなべ ミュラー初子
購ひし本忘れまた購ふ十二月 上野さち子
走馬燈童心といふ忘れもの 平子公一
足の痛み時には忘れ福寿草 阿部みどり女 月下美人
跫は忘れてしまふ去年今年 田川飛旅子 『使徒の眼』以後
路上のこと忘れゐて菊をかぐかな 飛鳥田[れい]無公 湖におどろく
路地奥に忘れ風鈴子規庵址 奈良文夫
轆轤場の軒に干さるる忘れ蚊帳 石川文子
轡虫忘れてをれば鳴き出しぬ 五十嵐播水 播水句集
迅きつばめ背後の目など忘れ去る 友岡子郷 遠方
返事して毛糸の目数忘れたる 松尾 静子
連如忌の墨の匂いへ忘れ雪 穴井太 天籟雑唱
遅き日の貝の奥なる忘れ潮 高橋睦郎
遍路杖忘れてありぬ道後の湯 吉川信子
遠く見るを忘れて久し春の虹 谷口桂子
遠稲妻忘れし空の現はるる 河野南畦 『試走車』
遠花火ふわりと世事を忘れけり 長田日佐枝
還暦やああ清閑の忘れ雪 西本一都 景色
邯鄲につかれ忘れる枕かな 虫の声 正岡子規
郭公に目覚めて足を忘れをり 太田土男
都忘れふるさと捨ててより久し 志摩芳次郎
都忘れみかど遠流の御所の跡 岡部六弥太
都忘れ夜はむらさきの沈みけり 鈴木桜子
都忘れ夫ひつそりと近づき来 志摩知子
都忘れ山々の照り昃る町 長谷川久々子
都忘れ朔太郎忌の近きころ 川崎展宏
都忘れ濃くてつち降る日なりけり 百合山羽公 寒雁
都忘れ男は一本調子の唄 阿部完市 無帽
都忘れ胸に点れる人の言 相馬遷子 山河
酒も水も忘れ底なき土器うらら 殿村莵絲子 花寂び 以後
酒甕を傘立代り忘れ霜 石川桂郎 四温
酸いあまいとうに忘れて蛍追ふ 三田きえ子
野に咲いて忘れ草とはかなしき名 下村梅子
野に忘れし鍬の柄に霜置きにけり 冬葉第一句集 吉田冬葉
野の涯に名前忘れし美容院 筑紫磐井 花鳥諷詠
野ばら咲きぬ幼き唄はみな忘れ 橋間石
野紺菊一日家を忘れゐる 北澤瑞史
野苺や母に母あること忘れ あざ蓉子
野菊摘むことを忘れてみまかれり 柿本多映
野遊びの山の名聞きてすぐ忘れ 今瀬剛一
金砂田楽待つあかつきの忘れ霜 詫摩まつ子 『卒寿』
針一本しまい忘れている祭り 対馬康子 純情
釣人のあいなめ放つ忘れ汐 浜田みずき 『石蕗の花』
釣師の連洲に忘れられ雁来月 平井さち子 鷹日和
鉄兜射ぬかれありき忘れ得ず 片山桃史 北方兵團
鉄路の臭五月はものを忘れ得る 友岡子郷 遠方
鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ 林田紀音夫(1925-98)
銀一枚めくる秋濤忘れ潮 金井暎子
銀杏黄葉昨日のことは忘れたい 武井梅仙
銀漢のとなりに眼鏡置き忘れ 鳴戸奈菜
銀竜草鵺の忘れし笛かとも 堀口星眠 青葉木菟
銘酒の名忘れてゐたる落葉かな 石塚友二
銭湯や煤湯といふを忘れをり 石川桂郎 高蘆
鍋釜も忘れむ雨情の金糸雀よ 攝津幸彦 鹿々集
鍵をかけ忘れていたり天狗茸 五島高資
鐘釣の大文字草を忘れめや 高浜虚子
長き夜や夢想さらりと忘れける 炭 太祇 太祇句選
長城を踏み炎天を忘れをり 平野謹三
長閑さや早き月日を忘れたる 炭 太祇 太祇句選
門灯をつけ忘れをり沈丁花 江國滋
閑談の時を忘れて喪の如し 飯田蛇笏 椿花集
間なくやみ間なくも忘れ春時雨 皆吉爽雨
闇がりに座頭忘れて涼みかな 也有 五車反古
陽さんの家の回りを忘れ雪 穴井太 穴井太句集
陽関に忘れし頭巾ありにけり 比叡 野村泊月
障子しめて忘れ団扇となりにけり 雑草 長谷川零餘子
隣にも忘れられたる鵙の贄 稲畑廣太郎
雀の稗忘れものして戻る道 高澤良一 素抱
雀らの藪に入りこむ忘れ雪 飴山實 辛酉小雪
雁がねに忘れぬ空や越の浦 井上井月
雁を呼ぶ言葉を忘れゐたりけり 今瀬剛一
雑炊やこの頃とみにもの忘れ 稲垣きくの
雑草園都忘れは淡き色 高濱年尾
雛あられ亡き人いつか忘れゐし 佐野美智
雛の灯も忘れてそそと夕餉かな 富田木歩
雛段にあづけ忘れし小盃 後藤夜半 底紅
雛段に置き忘れたる貝釦 飴山實 辛酉小雪
雛納め忘れ銀婚の夜なりけり 村尾香苗
雜煮くふてよき初夢を忘れけり 初夢 正岡子規
雨晴れて忘れな草に仲直り 杉田久女
雨月なり王の名忘れたるように 対馬康子 純情
雪の日の母の破顔を忘れめや 中田剛 珠樹以後
雪の降る町といふ唄ありし忘れたり 安住敦(1907-88)
雪よ雪よきのふ忘れし年の花 上島鬼貫
雪上に置き忘れたり片笑窪 増田まさみ
雪原に片手袋の指忘れ 対馬康子 吾亦紅
雪山の夜ぞねがふべきいのち忘れ 石橋辰之助 山暦
雪帽子馬具屋に忘れ来しと思ふ 成田千空 地霊
雪洞も落花も忘れられしもの 稲畑汀子 春光
雪渓といふ天帝の忘れもの 八染藍子
雪照りに馬打たるること忘れ 松澤昭 父ら
雪眼鏡かけてうからを忘れけり 文挟夫佐恵 遠い橋
雪積る凶作の田を忘れよと 津田清子 二人称
雪解かな許さうしかし忘れまい 松岡みどり
雪間草書きうつせしが忘れけり 田中裕明 櫻姫譚
雲に声置き忘れてや落雲雀 長山あや
雲のなか都忘れや都なし 赤尾兜子
雲の峰ピエロは神の忘れもの 栗林千津
零余子飯わが誕生日忘れられ 石田あき子 見舞籠
雷のあと日影忘れて花葵 飯田蛇笏 山廬集
霊運もこよひはゆるせとし忘れ 蕪村
霙るるや夜の影駅に忘れきし 石原八束 空の渚
霜の橋渡ってすぐに忘れけり 永末恵子 留守
霜晴の朝は糸干し忘れずに 滝沢和平
霜柱払ふて起たす忘れ鍬 河本沙美子
霜除に眼鏡を忘れ一夜過ぐ 山口青邨
霞むまで頭痛忘れに出づるかな 野村喜舟 小石川
霧の海私と母を消し忘れ 越智幸子
露草の忘れをりたる色に咲く 山尾玉藻
霾や母国語少しづつ忘れ 鈴木きぬ絵
青き踏む忘れたきこと道づれに 肥田美津子
青とかげ後尾忘れて行きにけり 箱守きよ子
青柿を踏み忘れたき悔のあり 石川文子
青梅雨の網戸を忘れゐたりけり 石川桂郎 高蘆
青簾昨日のことは忘れけり 石田あき子 見舞籠
青鳩の廻りきて酌む忘れ潮 山村たかを(屋根)
面影やとしの鏡も忘れぐさ 上島鬼貫
頬杖のゑくぼ忘れむ夏氷 加藤楸邨
風流を忘れし頃やほとゝぎす 幸田露伴
風狂の忘れものあり実葛 喜田礼以子
風鈴の忘れられゐて鳴りにけり 岸風三楼 往来
飛びたちさうに春手袋の忘れもの 櫛原希伊子
飛ぶことを鳩忘れゐし春社日 林昌華
飛花落花昭和を忘れたい人に 室生幸太郎
飛行雲を仰いで 忘れていた あかまんまの花だよ 吉岡禅寺洞
食すこと忘れ茗荷の花咲けり 稲畑広太郎
首夏突堤古紐となる忘れ昆布 平井さち子 紅き栞
香を忘れたるしろがねの沙羅咲けり 田畑美穂女
香水の人を忘れず軽井沢 田中冬二 麦ほこり
香水の匂へる忘れ扇かな 冨田みのる
馬肥えて嘶くことを忘れをり 宮内なつ子
骨壺へ母はものいふ忘れ霜 鍵和田[ゆう]子 浮標
高原に黴てふものを忘れ住む 木村蕪城 寒泉
高塔忘れず底面見せる離国の荷 和田悟朗
髢草論語忘れてしまひけり 小田中柑子
鬼が門限を忘れ菜の花になつてる 磯貝碧蹄館 握手
鬼房の忌が見え忘れ霜の照り 佐藤鬼房 潮海
鬼灯の芽忘れず出でて人の恩 田川飛旅子 『邯鄲』
鬼灯の鳴らし方忘れた手の上の乾いた音 田中耕司
鬼灯をならしたるこつもう忘れ 脇収子
鮎汲や糧を忘れし巌高き 飯田蛇笏
鯉涼し水を忘れしごとく居る 森澄雄 所生
鯖雲や放牛数へては忘れ 高橋美都
鰤を並べ甍は月を忘れざる 宮武寒々 朱卓
鰤起し一喝をもて傘忘れず 中山純子
鳥帰る土産忘れし急ぎ旅 本宮珠江
鳥渡る北を忘れし古磁石 鍵和田釉子
鳥雲に岬鼻忘れられてあり 徳永夏川女
鳥雲に忘れしことの限りなく 甲田鐘一路
鳥雲に忘れ潮にも漣立てり 豊長みのる
鳩笛や昼のひかりの忘れ潮 倉橋羊村
鳰残す波紋に倦くよ死者忘れ 香西照雄 素心
鴨なくやはつかに小田の忘れ水 二柳
鴨緑江節忘れるころの渡り鳥 城門次人
鴫の脚くつきり映り忘れ潮 深見けん二 日月
鵜舟待つ残照の膝忘れをり 石川桂郎 高蘆
鵲が忘れていつた父の帽子 宇多喜代子
鶏買が影忘れゆく蝉時雨 福田甲子雄
鶯も元気を直せ忘れ霜 一茶
鶯餅ひとはなにかを忘れ生く 村田脩
鶴ばかり見て鶴の声忘れけり 小笠原和男
麗かや服薬をまた忘れたる 和田祥子
麦を忘れ花におぼれぬ雁ならし 山口素堂
麦秋の麦とほくあり忘れ川 加藤郁乎
麦笛の吹きやう忘れてはをらぬ 猿橋統流子
黄落や通院の杖忘れけり 加藤裕香
黒百合や忘れねばこそ仇に咲く 本田泰三
齢などすつかり忘れソーダ水 菅原淑子
「美濃吉」の黒き柱や年忘れ 桂信子 「草影」以後
あたたかに着て恥かしや年忘れ 暁台
あみだ籤で締めて女の年忘れ 松本美簾
いかめしや鯨五寸に年忘れ 樗良
うやむやのどぶ汁囲み年忘れ 山田雅子
からすみも雲丹も大切や年忘れ 野村喜舟
ぐい呑は不揃ひがよし年忘れ 五十崎朗
さそひには口を濁して年忘れ 高澤良一 鳩信
しろ金や霰ふる夜の年忘れ 上島鬼貫
せつかれて年忘れする機嫌かな 松尾芭蕉
それぞれの星に名のあり年忘れ 高澤良一 宿好
ついそこに救世の楽や年忘れ 清水基吉
とんとんと上る階段年忘れ 星野立子
にぎやかに河豚食うて年忘れけり 森澄雄
のれそれにちやんばらなまこ年忘れ 原裕 『出雲』
ふる里の鰊漬あり年忘れ 阿部みどり女
へな〜と猪肉焼けて年忘れ 萩原麦草 麦嵐
へべれけのお手を拝借年忘れ 高澤良一 鳩信
ほぐし食ぶ蟹美しき年忘れ 西本一都
また一つ訃の加はりし年忘れ 原裕 正午
よきことの五指にも満たず年忘れ 遠藤若狭男
わかき人に交りてうれし年忘れ 几董
シャンペンを交す女の年忘れ 熊倉 猷
ユーカリの白い花見る年忘れ 瀧井孝作
一湾の眺めを肴年忘れ 佐藤鬼房
上りたる二階がうれし年忘れ 藤田湘子 去来の花
主客転倒もとより許せ年忘れ 寺岡情雨
二次会の階段狭き年忘れ 斉藤 節
亡き夫の主治医と語り年忘れ 石田あき子
人に家を買はせて我は年忘れ 芭蕉
人やしる冬至の前のとし忘れ 素堂
今もなほ戦の歌を年忘れ 森田峠 避暑散歩
円山の時雨に逢うて年忘れ 高濱年尾 年尾句集
化粧して己いつはる年忘れ 籏こと
半日は神を友にや年忘れ 松尾芭蕉
口裏を合せかねゐる年忘れ 石原八束
古き世の絵双六見て年忘れ 成瀬正とし 星月夜
句弟子来て酒の談義や年忘れ 角川源義
同人となりたることも年忘れ 京極杞陽 くくたち上巻
名を忘ぜし人も話題に年忘れ 星野恒彦
墓洗ひをり暮るる年忘れをり 廣瀬町子
大名に酒の友あり年忘れ 炭 太祇 太祇句選
大臣の猶うとましや年忘れ 年忘 正岡子規
天井にとどくゴムの木年忘れ 岸本尚毅 鶏頭
妻なきを誰も知らざる年忘れ 能村登四郎 寒九
妻措きて出づるかなしさ年忘れ 星野麥丘人
客あれば客あるで又年忘れ 高濱年尾 年尾句集
小会社であればの気概年忘れ 斎藤新一郎
小僧等に法問させて年忘れ 蕪村
居酒屋に日雇ら足る年忘れ 昌寿
島捨てし人の島唄年忘れ 深沢暁子
師の脇に酒つつしむよ年忘れ 石田波郷
師直の憎さが足らず年忘れ 西本一都
年忘れすぐに煮つまるさくらなべ 棚山波朗
年忘れつぶろで締むる島ぐらし 村田英明
年忘れまだ四五日は今年かな 九寸児
年忘れわが秘めごとが人言に 北野民夫
年忘れ一本杉の唄が出て 高澤良一 ぱらりとせ
年忘れ人生双六しばし止む 百合山羽公 寒雁
年忘れ地にちかぢかと笹鳴けり 野澤節子 黄 炎
年忘れ嫌ひな人と並び坐し 片山由美子 水精
年忘れ広野の鶴を見にゆかむ 樗良
年忘れ府中帰りの南部黒 中村史邦
年忘れ徒食は人の屑ならむ 西本一都
年忘れ手拍子合はぬ人が居て 野畑節子
年忘れ折々猫の啼いて來る 年忘 正岡子規
年忘れ旅をわするゝ夜も哉 一茶 ■寛政八年丙辰(三十四歳)
年忘れ曇りのとれぬ山をみて 鈴木太郎
年忘れ最も老を忘れけり 風生
年忘れ流れ流れてうたごゑ喫茶 鈴木栄子
年忘れ神父祖国の歌うたひ 佐々木美津子
年忘れ老は淋しく笑まひをり 虚子
年忘れ自己陶酔のひばり節 山中宏子
年忘れ踊り出したる鍋の蓋 佐藤ユキ子
年忘れ過去は断片なるとき美 池内友次郎
年忘れ長者独りに餓鬼九人 中村史邦
年忘れ麹先生を懼れつつ 相生垣瓜人
年忘れ黄泉にも句会あるならむ 高澤良一 随笑
床上げて酒いささかの年忘れ 奈良文夫
座持ちよき一人失ひ年忘れ 能村登四郎
念入れぬ髪も出来たり年忘れ 斯波園女
悪相の九絵食いつくす年忘れ 宇多喜代子 象
我庭の年忘れ草枯れにけり 年忘 正岡子規
戸の外にセエヌはありし年忘れ 小池文子 巴里蕭条
折角に忘れて居たを年忘 一茶
新橋の奥の細道年忘れ 高澤良一 宿好
春かけて旅の万(よろづ)や年忘れ 惟然 俳諧撰集「有磯海」
朝の間に文使ひして年忘れ 井月の句集 井上井月
歌舞伎座の絨氈踏みつ年忘れ 渡辺水巴
死にかけしこともありしが年忘れ 正岡子規
水仙に写真のライト年忘れ 百合山羽公 寒雁
泣き人形交々叩き年忘れ 川村紫陽
泰澄の開きたる湯に年忘れ 新田祐久
海原をうしろに昼の年忘れ 松根久雄
海老の眼のあまりに黒し年忘れ 横山白虹
深谷の赤湯に沈み年忘れ 北市都黄男
父を恋ふ虚子の一軸年忘れ 成瀬正とし 星月夜
牛の子の角や待つらん年忘れ 荊口 俳諧撰集「有磯海」
独り身や上野歩行てとし忘れ 一茶
猪鍋の火がやや強し年忘れ 土方秋湖
生も死も書けば一文字年忘れ 大津良法
白雲を雪嶺と見て年忘れ 阿部みどり女
窓の下を河流れゐる年忘れ 草間時彦
笑より涙あふれて年忘れ 林 翔
笑顔見て笑顔となりぬ年忘れ 宮本和代
箸袋裂きて句をとめ年忘れ 赤松[けい]子 白毫
糟糠の妻にも一つ年忘れ 相馬沙緻
置物にされて上座や年忘れ 前田夜詩緒
老校書一さし舞ひぬ年忘れ 富安風生
而して白陀がどんや年忘れ 石塚友二
耳しひに声々は楽年忘れ 皆吉爽雨
耳しひのひとり笑はず年忘れ 大竹きみ江
膝抱きて荒野に似たる年忘れ 山田みづえ 忘
芸なしは頭を左右に年忘れ 青木千恵
若後家のあたりに酔うて年忘れ 井上井月
薬のむ水かたはらに年忘れ 吉本伊智朗
蛇売りの蛇は眠らず年忘れず 久野雅樹
行灯を消せば鼠の年忘れ 丈草
衝立の花鳥はなやか年忘れ 木国
襟巻と手袋買つて年忘れ 田中冬二 若葉雨
言の葉も枯れけり年の忘れ草 年忘 正岡子規
起々の顔でとなりへ年忘れ 斯波園女
越よりの酒に限りや年忘れ 中戸川朝人 星辰
過去に生きし老どち寄りて年忘れ 福田蓼汀
酔ひ臥しの妹なつかしや年忘れ 召波
金輪際歌はせて年忘れけり 岩崎照子
銀杯に灯ののり易き年忘れ 蓬田紀枝子
鍋に火のよく廻りたる年忘れ 佐川広治
隅田川見て刻待てり年忘れ 水原秋桜子
雨中来て袴ぬらしぬ年忘れ 岡本松浜 白菊
霊運もこよひはゆるせとし忘れ 蕪村
須弥壇の闇に隣し年忘れ 亀井糸游
飛行距離伸ばさぬ鳶と年忘れ 原裕 青垣
魚鳥の心は知らず年忘れ 芭蕉
鰓なでて酒のむ癖や年忘れ 野村喜舟
●忘却
すべて忘却石竹の白い花咲く 中塚一碧樓
その羽子は忘却曲線描きけり 櫂未知子 蒙古斑
冬のコーヒー一匙分の忘却や 寺山修司 『 わが高校時代の犯罪』
冬の猟銃忘却かけし遠こだま 寺山修司 未刊行初期作品
冬鴎忘却といふ語の親し 行方克巳
凡て忘却春暁の火事目のあたり 阿部みどり女
夕浪は忘却のいろ雁渡る 柴田白葉女 花寂び 以後
大枯木前後左右を忘却し 津田清子
年暮るる忘却の石ひたに積み 稲垣きくの 牡 丹
忘却とは長いながい焚火のけむり 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
忘却に淵あり青条揚羽発つ 高野ムツオ 蟲の王
忘却のかなたより来しかたつむり 田村恵子
忘却のすでに光やつばくらめ 柚木紀子
忘却の中の一つの火の祭 高橋沐石
忘却の冬凪身もだえ詑ぶ者無し 香西照雄 対話
忘却の彼方に大樹蝉しぐれ 原裕 葦牙
忘却の扉を開く銀の鍵つめたし 内藤吐天 鳴海抄
忘却の断面ならし花菜畑 藤後左右
忘却の日々あるばかり苔の花 大塚千々二
忘却の杏子咲くべし隋へ旅 和田悟朗 法隆寺伝承
忘却の霞立つなり知覧基地 徳留末雄
忘却の齢ぞ合歓の花昏れる 小松崎爽青
忘却も供養の一つ秋彼岸 森白象
忘却やうす雪しづむ水の中 豊長みのる
忘却や胡桃手荒く割ることも 内藤吐天 鳴海抄
戦死戦災死者忘却や敗戦忌 橋本夢道 『無類の妻』以後
木々に芽を吾に忘却を神は強ゆ 竹下しづの女句文集 昭和二十三年
毛虫踏み忘却と書き消しては書く 黄川田美千穂 『貝むらさき』
河原撫子僧に忘却問はるるも 伊丹さち子
洞窟に湛へ忘却の水澄めり 西東三鬼
滝凍てて立つ一切を忘却し 橋本美代子
空間は世界をつつむ忘却か一本の樹の彼方なる青 市原克敏
落葉焚くや忘却といふ罪に生き 武田玄女
葱囲ふ忘却期間置くために 伊藤白潮 卍
銀製の蝉を/埋めて/父とは忘却 林桂 銀の蝉
露の世の忘却といふ生きるすべ 川口咲子
青葉木菟忘却という卑怯者 一ノ瀬タカ子
●失念
失念の掌で傘握りしめ 森須 蘭
春の川きらりきらりと失念す 夏井いつき
亡き人の山茶花の句を失念し 成瀬正とし 星月夜
●忘我
さみどりの山の八重なる忘我かな 藤田康子
たんぽぽの絮吹く忘我ありにけり ほんだゆき
崖に出て蚊柱となる忘我かな 澁谷道
忘我とは芒の真似をすることなり 塩野谷仁
虫の音に堕つる忘我の星いくつ 滝本魚顔女 『絵踏』
馬鈴薯の花の紫忘我とは 児玉悦子
●健忘
●痴呆
卯の花や一夜飲まねば痴呆めく 皆川白陀
帰燕過ぎ朝痴呆めくシネマ街 高井北杜
父の痴呆冗談ならむ松明くる 徳武和美 『梅の香をり』
薺粥痴呆の母の口へさざなみ 安西 篤
賀状書く痴呆かなしき友ひとり 細見しゆこう
震へつつ痴呆のからだ水を呑む 高島筍雄
●記憶喪失
●忘られ
えごの花忘られしごと乳母車 川崎展宏
むらさきは忘られやすし苧環も 津森延世
七草粥忘られしころ癒えてゐむ 村越化石 山國抄
仕舞田をせし母のこと忘られず 萩原麦草 麦嵐
元日や忘られてゐし白兎 飯田龍太 山の木
凩に置き忘られし赤鳥居 柴田白葉女
去年より物一時(いつとき)も忘られぬ 上島鬼貫
学校は町に忘られ冬休 村岡籠月
山独活に木賃の飯の忘られぬ 炭 太祇 太祇句選
左義長や月忘られし如くあり 月星郎
後山の忘られ鴉霜消空 飯田蛇笏 椿花集
忘られしたらひの中の金魚かな 指中恒夫
忘られしところもつとも末黒濃し 加倉井秋を
忘られしもの昼の月芦青し 大野林火
忘られし冬帽きのふもけふも黒し 橋本多佳子
忘られし安らぎに竹皮を脱ぐ 堀之内和子
忘られし狗脊澱む小桶かな 尾崎紅葉
忘られし軒のギス鳴き新学期 松倉ゆずる
忘られて日かげつてをり青写真 角杏子
忘られて花野の中の三輪車 浅見さよ
忘られて鬱の色なる菠薐草 鍵和田[ゆう]子 武蔵野
忘られぬ母の温もり寒卵 徳永高男
懺悔台に置き忘られし夏帽子 熊谷愛子「火天」
昼月の忘られてゐる枯野かな 鷲谷七菜子
柴漬の忘られしごと日々にあり 雉子郎句集 石島雉子郎
梅日和母生き過ぎて忘られて 中嶋秀子
病床に忘られてをり日脚のぶ 富安風生
短日の犬忘られて人を恋ふ 吉屋信子
石桃の茂り没して忘られし 百合山羽公 寒雁
秋の虹死者に忘られゆくごとく 正木ゆう子 悠
紅梅ややがて忘られし縁の鞠 青峰集 島田青峰
置き忘られし白扇のひらくかな 鎌倉佐弓
花石榴久しう咲いて忘られし 正岡子規
薔薇一枝挿しぬ忘られてはゐずや 藤田湘子(1926-)
豆雛が箪笥の上に忘られて 臼田亞浪 定本亜浪句集
貨車一つ忘られてある寒の雨 神山杏雨
金魚屋のグッピーの眼が忘られず 高澤良一 素抱
青田風故郷に忘られたる者に 金子晃典 『望郷独語』
風知草風の露台に忘られて 三宅一鳴
黄葉して忘られてあり毒うつぎ 前田普羅 新訂普羅句集
●度忘れ
ど忘れや水餅のひびふやけをり 川村紫陽
度忘れの一語に執しそぞろ寒 鴨志田智恵子
度忘れの向うで光る大植田 河口俊江
度忘れの頭叩いて丈山忌 高澤良一 随笑
度忘れも癖のなかなる六日かな 小西敬次郎
度忘れを暑のせいにするよくあること 高澤良一 寒暑
●置き忘れる
置忘れ来し十六夜の女傘 岸田稚魚 『雪涅槃』
草の花窯場に妻を置忘れ 鈴木鷹夫 渚通り
忘れ置し頭巾の裏を見られけり 頭巾 正岡子規
●見忘れる
その映画見忘れまじく五月川 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
埋火に来る鴬を見忘れず 長谷川かな女 雨 月
虫干の仏の顔ぞ見忘れし 土用干 正岡子規
蛇苺いつも葉っぱを見忘れる 池田澄子
見忘れずぺんぺん草の小田の春 百合山羽公 寒雁
●面忘れ
●物忘れ
もの忘れしさうに霧の立ちこめて 小田三千代
もの忘れしたらん貌や落し角 高橋淡路女 梶の葉
もの忘れするたび仰ぐ春の山 黛 執
もの忘れせし手つめたし春の月 松村蒼石
もの忘れはげし弟切草咲けば 水田光雄
もの忘れひどくなりたる鯰かな 穴井太 原郷樹林
もの忘れわらひあひたり春落葉 柴田白葉女 『月の笛』
もの忘れわらふほかなき薄暑かな 久保田万太郎 流寓抄
人忘れもの忘れして稲光 赤尾恵以
八朔や旅は寝がちの物忘れ 暁台
初雪や夜着をぬけ出て物忘れ 多代女
埋火の灰となりゆく物忘れ 水島 稔
夫婦して物忘れしてしじみ汁 浦野榮一
富士山を仰ぐ白帆の物忘れ 徳永希代子
小鳥来て何やら楽しもの忘れ 星野立子
山笑ふあつけらかんと物忘れ 杉山青風
庭に出て物忘れせし雁渡し 藤瀬光子
杜若是非なき母の物忘れ 戸村勇夫「藍合同句集」
炉埃やこのごろとみに物忘れ 石田雨圃子
物忘れしてゐる顔へ春の蝿 馬場白州
物忘れするやうな月の夜寒かな 中島月笠 月笠句集
物忘れなど朝顔になくて咲く 松倉ゆずる
物忘れひどき蝿取りリボンかな 志麻茜(銀化)
物忘れひどくなりたる年を守る 村上三良
物忘れ増えしと思ふ枇杷喰べて 水津さかえ
物忘れ多き頭をのせ籠枕 高澤良一 寒暑
物忘れ多くなりけり綿の花 我妻文雄
独行て物忘れせむ花の下 旧国
白玉やかたみに笑ふ物忘れ 手島靖一
纏ふもの忘れ行く麗ら鶏の中 安斎櫻[カイ]子
茅の輪くぐる四捨五入せし物忘れ 田畑はつ枝
茗荷汁ひらきなほりし物忘れ 村田佳寧子(阿蘇)
袂なる頭巾さがすや物わすれ 黒柳召波 春泥句集
降るうちや蝉のなかねば物わすれ 子珊 俳諧撰集「有磯海」
我宿に物わすれ來て照射かな 蕪村遺稿 夏
●名を忘れ
おのが名を忘れて山の眠りをり 栗原稜歩
ししうどや山々の名をまた忘れ 矢島渚男 天衣
わが名は忘れられ旅人木鳴響(とよ)め 小川双々子
人の名は忘れ易くて蚯蚓鳴く 小池喜代子
人の名を聞いて忘れて水澄めり 坂東ユキ子
今しがた聞きし茸の名は忘れ 占魚
元の名を忘れて呼ぶや秋のかぜ 水田正秀
名を忘ぜし人も話題に年忘れ 星野恒彦
名を惜しむこと忘れ春惜しむかな 上井正司
君の名をはたと忘れた咳をする 竹崎奇山
堂の名はみな忘れたり春の風 春風 正岡子規
夏料理貝の名訊いて忘れけり 星野麥丘人
子に蒔かせたる花種の名を忘れ 安住敦
子供の名忘れし母の手毬唄 西浦一滴
山の名を聞いて忘れぬ春の雲 大串章 百鳥 以後
山の名を聞くより忘れとろろ汁 後藤兼志
岳の名を忘れて春の畦をゆく 友岡子郷 春隣
島の名はいくつか忘れ夏朝日 和知喜八 同齢
已が名を忘れるほどに虫の鳴く 犬塚了史
暖かやこの人の名を忘れゐる 永井龍男
母の名を忘れてゐたり氷点下 鳥居美智子
涼しく女の名聞いて忘れて女と居る 荻原井泉水
片仮名の名はすぐ忘れ室の花 松本泰志
神の名を一つ忘れし宝舟 高木青二郎
空腹や人の名忘れ青蛙 井上末夫
竹馬にのぼりて忘る総理の名 宇多喜代子
紅葉の湖のさかなは食べて名忘れぬ 林原耒井 蜩
花の名を聞いて忘れて花野行く 町 春草
芽ぶきゐる木の名ききしが忘れけり 川島彷徨子 榛の木
貰ひたる干魚の名を忘初 茨木和生 倭
貰ひ来て名を忘れたる菌かな 松藤夏山 夏山句集
野遊びの山の名聞きてすぐ忘れ 今瀬剛一
銘酒の名忘れてゐたる落葉かな 石塚友二
雨月なり王の名忘れたるように 対馬康子 純情